我的桜花
 
 
最近清劉は日本の酒を好んで飲んでいる。半分は日本人だから嗜好や体質に合っているのかもしれない。飲みすぎは本当にどうにかして欲しいのだが用意していないと怒るから仕方なく今日も行きつけの酒屋で酒を調達する。
 
毎日のように大量買いをするというここまでのお得意様になると酒屋もあれやこれやとおススメの秘蔵を出してきてくれるので、言われるがままにそれをいくつか買い上げた。
 
とても有名な酒蔵の、特別な酒らしい。そんなものがなぜ海を渡って中国までやってきたのか胡散臭い話だが、多分飲めればそれで銘柄だのなんだのまでは文句は言わないだろうからいいだろう。とにかく質より量なのだ。
 
家に戻ったが清劉は留守だった。最近こうしてよく外出するようになってしまった。何をしているのかまた誰と接近遭遇しているのか、気になるけれど子どもではないのだから質問攻めにするわけにもいかない。酒を冷やして夕飯を作り帰りを待った。
 
必死で心を無にして用意をしたものの、一人食卓に座っているとふと空しさが溢れてきた。待つ身は本当に辛い。どうしてこの気持を分かってくれないのだろう。
 
そう言えばかつてこんな気持ちが爆発して家出をした時に、自分は三日三晩飲みつけない酒を飲み続けて正体を失ってしまったのだった。その挙げ句闇市で加虐用の道具まで調達して清劉に対してとても遊戯とは言えないほどの凌辱を加えてしまったのだ。酒の所為とはいえあれは許されるものではない。
いやあの時は更にそこに得体の知れないドラッグを加えてしまったからそのせいかもしれないが元々酒はそんなに強くはないのだ。量的には飲めるには飲めるのだが知らぬうちに人格が変わってしまう。だからたしなむ程度にしか飲まないと決めている。
 
よく冷えた酒をグラスに注いだ。店主は満開の桜の香りがすると言っていたが桜茶や桜餅のあの香りとは違う。桂花陳酒のような明快な香でもなく、自分にはよく分からなかった。味の方は桜では無くて。なんと言っていたか覚えていない。でも酒の味などどれもさほど変わるものではない。
 
でもこれはうまいと思った。飲みやすい。度数が低いのか。これでは満足してくれないかもしれない。困った。他のものも用意しておくか。
 
遅い。なぜこんなに遅いのだ。連絡をとる手段が無いというのは本当に困る。どうして行き先の一言くらい言ってくれないものか。帰宅時間の目安でもいいから連絡を入れてくれれば・・・
 
込み上げる気持ちを抑えるように杯を空けた。しかし落ち着くどころかますます気持ちが高ぶってしまう。
 
あの人はあの時から全然変わっていないのだ。自分がどうして家を出たのかだって分かってなんかいなかった。そんなに浮気がしたいのならどうして自分なんかを側において・・・いやいやいや、おいてくれなくては困る。ああもう結局それなのだ。どんなに浮気者でも自分は離れられない。おまえだけだと言われればそれだけで幸せで満たされてしまう。盲目的に信じてしまう。
 
 
こんなにこんなに愛しているのに。自分のこの気持の半分のその半分でいいからどうか与えて欲しい。自分だけを見て欲しい・・・
 
 
 
 
 
 
「ん・・・?」
 
「起きたか。食卓で寝るな。寝室に行け」
 
「い、いつ帰ったのですか?」
 
全然気づかなかった。無意識に気配を消す玄人技を持つ人だが自分に限っては気づかないはずがない。信じられないくらい眠り込んでしまった。清劉は目の前で悠然と酒瓶を煽っている。その数からすると相当な時間が流れていたようだ。
 
「おまえがこんなに飲むなんて珍しいな。そのグラスの酒はそんなに美味かったのか?俺にも味見をと言いたいが残念ながらもう一滴も残っていないようだ」
 
「ええ?そんなことはありませんよ。あれ?でも同じものが他にまだ2本・・・2本・・・ん?」
 
空いている。清劉が飲んだ?いや飲んでいないと言っている。では誰が?自分が?
 
「ここに空いているのは3本。おまえは常々俺に一日一本までと言っているのにこうしてこっそり飲みまくっているのか。ひどい奴だ」
 
「一本で済んだことなんか無いじゃないですか。今だってそんなに飲んで。いやそんなことより!ひどいのはどっちですか!どこに行っていたんですか!」
 
「ふうん?逆キレとはいい度胸だ。やるか?」
 
「ぼ、暴力は反対ですがで、でもっ!でも言わせてもらいますよ。だいたいあなたはねえ!私のことをなんだと思ってるんですか。浮気したってなにしたって傷つかないでくの坊とでも思ってるんですか!いつだって待たせて放ったらかしで私のことなんか空気みたいに思って全然見てくれていないっ」
 
「なるほど、おまえは怒り上戸か。とんでもないな。まあいい。この際だ、言いたいことは全部言ってみろ」
 
「言いますよ。今日はどこで誰と何をしてたんですか?」
 
「ひとりで海辺を走っていた。と言ってもどうせ信用してないんだろう」
 
「私と暮らし始めてから何人と関係を持ったんですか?」
 
「関係?体を使ったかどうかと言う事か?残念ながらそんな機会が無かった」
 
「王子とは?」
 
「直球で来たな。やっていない」
 
「嘘だ」
 
「じゃあやった」
 
「う、嘘だ!いえ、嘘じゃないほうがいいですけどでも嘘で・・・あれ?何を言っているのか」
 
「もう寝ろ、酔っ払い」
 
「そうやって誤魔化すんですね」
 
「話にならんな。ほら、おとなしく運ばれろ。俺に姫抱きされる男はたぶん過去も未来もいないぞ。特別待遇だ」
 
「や、や、や、それはいいです、嬉しいけど、いいです、あのちょっと一応あの沽券とかそういう・・・気持ちだけで・・・」
 
「ああ、やはりやめよう。疲れそうだ。気持ちだけにしておく。おまえが運べ」
 
「・・・はい」
 
体よく誤魔化された気がするが予想もしない申し出にすっかり怒りは納まってしまった。これが自分の駄目な所なのだと分かってはいるが仕方が無い。やはり勝てない。いや勝たなくていい。こうして一緒にいられるのなら。
 
 
「桜の香りがする」
 
腕の中でそうつぶやかれた。
 
「本当ですか?私には分からないのですが」
 
「いいな。おまえは桜が似合う」
 
「あの・・・」
 
「この香の中で気持ち良く眠れそうだ。今日はこのまま」
 
 
酔った自分への気遣いなのか、それとも本当に眠かったのか。欲望を向けることなく清劉は眠ってしまった。本当に自分には桜の香がさっぱり分からない。いや、きっと本当に桜には香が無いのではないかと思うのだが。
でも誰にでも分かる王子のジャスミンや仁の甘い香水よりも、何も無い自分がいいと言われたようで嬉しくなる。安いものだ。
 
ちゃんとおまえだけを見ていただろう。そう聞こえた気がした。
驚きと怒りで忘れていた。さっき目を開けた瞬間、とても優しい顔で見つめられていた。他の誰にも向けたことの無い顔で、自分を見ていてくれた。
 
明日花屋で桜を買って、そしてまたあの酒を買って、そして一緒に飲もう。
そして明日こそは朝まで・・・
 
 
やがて閉じた瞼の後ろに真っ白な桜が舞い心地よい眠りが訪れた。
 
 
 

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(2014/02)
 

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