Shakespeare Rhapsody
 
 
scene1 上海・自宅前
 
 
これはいったいどうしたことだろうか。
 
家の前に清劉がいる。
この際なぜドアを背にして外に立ち尽くしているのかは気にしない。気まぐれに家を出たら鍵を無くしたとかそんな理由かもしれない。もちろんこの人がドアを蹴破らず大人しく待つ筈など無いのだがとにかくそこは気にしない。
 
おかしいのは・・・とにかく不審なのは。
頼み込んでもいないのに、ハロウィンでも仮装パーティでもなんでもないのに、女装をしていることなのだ。
 
警戒しながら近づくとこちらに目を向けてきた。化粧までしている。一体なんなのだ。
 
「どうしたんですか。あの・・・何か私を陥れようとかからかおうとかそういう企みが・・・」
 
恐る恐る漏らした声に対し清劉は不思議そうに首をかしげた。
そして小さく微笑み会釈をした。ますます意味不明な行動だ。今まで散々酷い目に会わされてきたがこんな精神攻撃は初めてでどうしたらいいのか思考が追い付かない。
ただ分かることは、その女装が相変わらず自分の心の奥底の危険地帯を揺さぶる扇情的な美しさだということで、それはもう企みでも罠でも何でもいいからとにかくお願いしますと願い倒したくなるほどの、自分にとってのマタタビであるということだった。
 
 
 
scene2 ロンドン・エアポート
 
 
長く退屈なフライトがようやく終わった。外はそろそろ夜が開けた頃だろうか。時間の感覚がいまいちだし霧が深くてよく見えないから分からない。
手続きを済ませ出口に向かうと、そこには最愛の心友が出迎えてくれていた。
 
「英国へようこそ。たった一人で本当によく来れたな。心配と嬉しさで1時間も前から待ってしまった」
 
「俺だって直行便くらい乗れる。機内では至れりつくせりで何の不便も無かったぞ」
 
「それはおまえだから通常より割増サービスをいただけたんだろうさ。さてどこに行こうか。観光しようにもこの霧だからな」
 
「外に出るのか?まだ乗り換えがあるんだろう?」
 
「ああ、でもうちは田舎なんでそんなに接続がよくないんだ。それに小型機だからこの霧じゃ暫く飛びそうもない。まあここまで来たなら焦ることも無いさ。せっかくだから街に出よう。行きたいところはあるか?もし眠りたいと言うならホテルの部屋をとってもいいが」
 
「そうだな。おまえの家に行ったらさすがに一緒には寝てくれないんだろう?なら今のうちにその腕を借りておくか」
 
「仰せのままに」
 
 
 
scene3 ロンドン・市内のホテル
 
 
空港近くのホテルの部屋を抑え、チェンの添い寝で仮眠を取る。俺を眠らせることができる世界でただふたつの腕のうちのひとつ。
 
「しかしまさかおまえが家出してるとは馬鹿犬は思いもしないんだろうなあ。ああどんなに慌てふためくか。愉快でたまらんな」
 
「家出というのは少し違うな。あいつの留守中に不意に思いついたプライベートな旅行だ。どうせ行く先なんか限られてるからすぐに気づく」
 
「そうかもしれないがな。ところで?ここに来た本当の理由は何かな?俺に会いたかったということにしておくのもそこそこ気分はいいがやはり知っておきたい」
 
「ふん。さすがおまえは勘がいい。せっかく久々にこうして気持ち良く眠れると思ったのにつまらん話はしたくないが仕方がない。ちょっと舞台を見てみようと思ったのだ」
 
「舞台?・・・って芝居のことか?」
 
「ああ」
 
「王立劇場のか?」
 
「いや。どうせその辺の小劇団だろう」
 
「・・・まったくもって難解だな。もう少し詳しく話す気はあるか?」
 
 
 
 
「親父には正妻が一人に妾が三人いた。でも他にも手つきは数えきれないほどいたのは知ってるよな」
 
「ああ」
 
「だからよく知らない兄弟があちこちに生まれたが親父はその子らを決して認めることは無かった」
 
「ただでさえいがみ合ってる一族にこれ以上トラブルの種を増やしたくなかったのだろう」
 
「金に困ってゆすりに来た兄弟もいたようだが容赦なく始末された」
 
「伯父さんはそういう人だったな。本当に怖かった。あれこそ上に立ち一族を仕切り導く者の冷酷な強さだと思った」
 
「兄の時も俺の時もそういう手合いはあったようだが秀徳が全て処理したようだ」
 
「いったいどれだけの愛人がいたんだ。羨ましい体力だな」
 
「一昨日秀徳から連絡があった。親父が死ぬ直前に生まれた子がいて、それは縁あって子の無い英国人夫婦の養女となって英国に渡った。今は舞台女優になってるらしい」
 
「ほう面白いな。あるいはうちの一族の中で一番幸せな人生じゃないか?その幸せな義妹がここに?でも向こうは何も知らないのだろう?」
 
「ああ。秀徳は他の兄弟姉妹同様に対処していたはずだ。なのになぜ今になってその娘のことだけ俺に知らせて来たのかと疑問に思った」
 
「特別扱いしたくなるほどの美人だったとか?英国人の養女だ女優だと言うからにはな?」
 
「写真はネットで見られると秀徳は言っていた。俺は面倒だから見ていないしどっちにしても女の顔の秀劣はあまり分からない」
 
「どれ、調べてみよう。ちょっと腕を外すぞ」
 
「だめだ」
 
「誘惑するなよ。俺は馬鹿犬にかみ殺されるような無残な死に方はしたくないんだ」
 
「臆病者。俺より銀色の子どもと遊ぶ方がいいのか」
 
「なんとでも言え。ちょっと待ってろ」
 
 
 
 
「分かったぞ。アンナ・フレイアか。・・・なるほどね。これは俺が知ってるおまえの兄弟の中で一番兄弟に近い。きっと秀徳もそう思ったからわざわざ知らせて来たのだろうな。うん」
 
「一人で納得するな。意味が分からない」
 
「疑いようがないってことだ。これはどう見てもおまえの女版だろう。見てみろ」
 
「・・・似ているか?自分では分からない」
 
「この間馬鹿犬が自慢して見せびらかしてきたおまえの女装画像と姉妹のようだ」
 
「は?あれをばら撒いてるのか!あれはあいつが泣いて頼み込むから仕方なく許しているだけであって俺の意志ではっ」
 
「まあまあまあ。変態的だが家庭でできる他には迷惑を掛けないかわいい趣味だ。見逃してやれ。それはいいとして。さて、で?舞台を見に来たということはつまりおまえはわざわざこの妹君に会いに来たとそういうことでいいのか?もちろん秀徳はそうしろとは言わなかったんだろう?」
 
「そのうち互いに希望すれば仲介すると言っていた。俺はこんな女に会うつもりはない。ただ毎日することもなく暇を持て余しているならせっかくだし一度くらいおまえの住んでいるところを訪ねてついでに舞台ってのを見に行ってもいいかと思っただけだ」
 
「なんて優しい兄さんだ。妬けるな」
 
「おまえに会いに来たんだと言っているだろう、チェン」
 
「はいはいありがとう、ほらこうしててやるからおとなしく寝なさい。じゃあ起きたら行ってみよう。俺も舞台なんて初めてだ。楽しみだな」
 
 
scene4 上海・自宅前
 
 
雲が晴れて月明かりが少し強くなり清劉の横顔を照らした。その辺りからようやく自分も冷静さを取り戻した。
別人だ。そして本当の女性だ。
しかしこんな同じ顔でわざわざうちの前に立っているのは女性とは言えやはり怪しい。未だ緊張は解けぬ中、その清劉もどきの女性は少し外国なまりはあるものの滑舌の良い綺麗な声で口を開いた。
 
「突然やって来てすみません、こちらの住所は李秀徳さんという方から聞きました。私はアンナ・フレイアといいます」
 
秀徳の名を聞いてようやく肩の力が抜けた。だったらこんなに似ているのなら親戚かなにかなのだろう。それなら納得だ。
 
「一族の方ですか。でも外国名なのですね」
 
「はい。私は中国人ですが小さい頃に英国人夫婦の養女になって渡英しました。中国語はあまりうまくなくてすみません」
 
「そうでしたか。とにかくここでは何ですし、家に入りましょう。呼び鈴を押しても誰も出てきませんでしたか?すみません、家人はいるにはいるのですが寝ているのかもしれません。失礼をしました」
 
慣れない土地の慣れない場所でアンナも緊張していたのか、優しく声を掛けるとふっと表情が緩んだ。その笑顔はとても美しくめまいがしそうになり慌てて目を逸らした。
 
「ちょ、ちょっとそちらで待っていてくださいね。清劉、清劉!お客様ですよ」
 
しかしいくら探しても清劉の姿はどこにも見当たらないのだった。
 
 
scene5 ロンドン・ホテル
 
 
「・・・呼んだか?」
 
「おお、起きたか。調べておいたぞ。やはりおまえには竜神の御加護があるのだな。この上ない抜群のタイミングだ。なんと今日からアンナ初主演のロミオとジュリエットがスタートだ。チケットは完売だったがそこはうまいことやったからちゃんといい席をキープしておいた」
 
「ん・・・」
 
「確かにオペラハウスみたいなすごいもんじゃなくて小さなシアターだが。でも巷の前評判はすごいぞ。アンナはかなりの有望株らしい」
 
「ふうん」
 
「おい、わざわざここまで見に来てやったにしてはやる気がない反応だな。相変わらず気まぐれな奴だ」
 
「おまえこそなぜそんなにやる気に満ち溢れてるんだ、チェン」
 
「俺はおまえよりもずっとずっと家族愛が深いんだ。おまえの愚兄どもを見てた時は兄弟なんか不要と思っていたが、おまえそっくりのかわいい妹だったら話は別だ。おまえの妹なら俺の妹も同然。ぜひ仲良くしたい」
 
「そんなに女好きだったのか。ならばどうして銀色と一緒にいる」
 
「なんだ、話がまたそこにいくのか。あれはお子様なんだからそんなにいじめないでやってくれ。さあさあ小劇場だからドレスコードの心配はないがせめて何か服を着ろよ。食事を取ったらさっそく出かけるぞ」
 
 
scene6 上海・自宅
 
 
『え、アンナがそこに?確かに情報を渡したのは私です。でもアンナに話をしたのも清劉に話をしたのもほんの一昨日のことで、まさかこんな早くに一人で勝手に会いに来るとは、いやはや。いや実際私が連れて行って引き会わせることになるだろうと思って予定を立てているところだったんですよ。まったくあの兄妹は予想もつかない行動ばかりしてくれますね』
 
「え、きょうだい・・・ですか?」
 
『説明が前後することになってしまいましたね。そうです。アンナは李嘉劉の最後の愛人の私生児。つまり清劉の異母妹です』
 
「知らなかった」
 
『その手の兄弟姉妹は誰一人認知などされずにいましたからね。いろいろ言ってくる者たちは全て金で処理されたかそれでもうるさく脅してくる者は闇に葬られました』
 
「・・・。つまり清劉の兄弟がいくら出て来ようとまったく驚くべきことではないとそういうことですか」
 
『そういうことです』
 
「ではなぜアンナだけ他とは違って清劉に会せようとしたのですか?」
 
『まあその辺もね、ゆっくり話そうとは思っていたんだよ。いくら山ほど兄弟がいると言っても李嘉劉が亡くなってだいぶ経つんだからこれ以上増えることは無い。そして今現在義兄やその他親戚と縁を切った清劉には肉親と呼べる者がいない。ああもちろん君は家族だし血の繋がりという点では仁も私も一応は他人ではないが、とても近い肉親という話だよ』
 
「ああ、はい」
 
『そして何よりの理由は見ての通りだ』
 
「そうですね。この私ですら一瞬見間違えましたから。本当にとても似ています。行動パターンも」
 
『で、清劉は?』
 
「ですから。恐らく妹さんと同じ行動をしているんだと思います」
 
電話を切ってリビングに戻った。
じっとこちらを見据えるまっすぐな視線に一瞬ドキリとしてしまう。
これは・・・一難去ってまた一難というやつか?いや違うか。ああ、混乱している。
何からどうしていくべきか。
いつものことと言えばいつものことなのだが、冷静に今後を把握しようとするにはあまりにも心が乱れる状況に陥ってしまっていた。
 
 
 
 
につづく
 

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(2013/5)




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