From Russia with Love
 

「寒い」
「今日は吹雪いていないし全然ましな方です」
「真冬にこんな国に来るなんて酔狂だ」
「もう少し都会の方で会合をしたかったのですが何分相手が外に出るのを嫌がるもので。別に私一人で来ても良かったんですがね」
「俺が勝手について来たと?」
「こんな何も無い北限の最果ての街なんて一緒に来てくれるなんて思わなかったんですよ。生活能力ゼロのあなたを一人残してでは気になって仕方が無いですから良かったです」
「人を何だと思ってるんだ。子供じゃあるまいしおまえがいなくてもどうにかなる。しかしここまで来てやるのはいいとしても打ち合わせならなぜホテルでしない」
「色々事情がありまして」
「怪しいな。その相手と言うのはなんなのだ。俺がわざわざこんな所に来てやる程の者なのか?」
「貴方は本当に気持ちに素直ですね。暑ければ暑い、寒ければ寒い。でも自然はどうにもできません。我慢して下さい。冬はどこにいたって寒いんですから、上海のあの部屋で一人で眠るよりは、ここで一緒に居る方が暖かいですよ?」
「・・・おまえはこの仕事を始めて口ばかり達者になるな。以前の体だけのでくの坊の頃の方が可愛かった」
「ひどい言われようですが。さてと。この辺なんですけど、似たような古い建物ばかりで分かりにくい。ええと・・・」

息が凍る。視界の全てが何もかも白い氷の国。爺の所も雪国だがあそこの雪は柔らかく湿っている。少しだけ我慢すればやがて春が来て桜が咲く。でもここの雪は冷たく乾いて永遠に溶けないのではないかとすら思う。
ここにチェンがいるという噂があった。もう随分前の話だ。だから来た訳では無いけれど。もう一生会えない覚悟はしている。
なのに心がざわめくのは、この白い世界が白の似合う冷えたおまえを思い出させるから。
 
ルウ・・・
 
立ち止まった。声が聞こえた気がした。
やはりおまえはここに居たのだな。
こんな寒い国に。たったひとりで。
でももう・・・きっと・・・。
白い雪と氷の街。ここはひとりでは・・・寒すぎる。
 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

懐かしい名を呼ぶ声が遠くなる。
何も考えず振り向かず。
死する安らぎは赦されず。
ただ生と言う絶望に向かって走る。
 
そうしていつの間にか流れ着いていた北の国の更に北の、太陽の存在を忘れてしまうような雪ばかりの小さな小さな街。
密かに借り住んでいる屋根裏の小さなドアの前で捨て猫のようにうずくまり眠る人影。
銀の髪。細い体。少女だと思った。
隠れ住む身には面倒ごとは困るのだが、ここでこのまま凍死でもされてももっと困る。仕方なく抱きかかえ狭い部屋に引き入れ、一つしかないベッドに寝かせた。
不法に引き込んだ回線で要所の状況をチェックしていると、死んだように眠っていた体が動いた。
ゆっくりと目が開いた。薄暗い中でもはっきりと分かる青。雪の白と闇の黒。それしか無い世界の中で、そこだけが夏の湖のように美しく浮き上がる。
 
「おまえ誰だ」
「凍死する所を助けてもらってその言い草はいただけないな。俺は見ての通りここの住人だが。おまえこそ何者だ。なぜうちの前で寝ていた」
 
更に見開かれた大きな目。この目は・・・。
 
「こんな物置に住む奴なんて鼠だけだと思ってた。前は開いてたのに鍵が付いてた」
「確かに元は物置だが今は大枚はたいて借りている俺の城だ。歩けるのなら出て行ってくれ。そしてもう二度と来るな」
 
これはただの野良猫だ。相手にする価値も無い。
モニターに向き直ってキーを打っていると、いつのまにか背後を取られていた。驚いて咄嗟に腕を取り喉元を締め上げた。
 
「く・・苦しい」
「俺の後ろに立つな。なぜ足音がしない。おまえは何者だ」
 
油断したかと咄嗟に押さえ込んでしまったが抵抗する力は全く無い。完全に素人だ。拍子抜けして手を離した。
 
「覗き見するつもりは無かった・・・っていや少しはあったけど中身なんか分かんねえよ。俺、学校行ってないし。前にそんなの得意気に動かしてた客がいたから、同じかなって思って見てたんだ」
「客?」
「・・・仕事。一晩50ルーブル。あんたも良かったら・・・って無理か。どう見ても貧乏人だもんな」
「子供の癖に淫売か」
「でもそれって金持ちしか持てない機械だってその旦那は言ってた。あんたって本当はもしかして金持ちなのか?ここで隠れてるスパイとかなのか?」
「さあな。とにかくもういいだろう。さっさと50ルーブル稼ぎに行・・・」
 
ああ・・・目を見てしまった。さっきから必死に心を誤魔化していたのに。眦の下がった甘く柔らかな、その癖全てを容赦無く突き刺すような強い視線。
 
ルウ・・・
 
違う。似ているのはあの頃の小さなルウ。今のルウはこんな薄汚れた下層の者と比べることすらおこがましい。俺の願い通りに、いやそれ以上に強く美しく君臨した竜の神。
 
「なに?」
「何でもない。野良猫には雪空は寒かろう。止むまでは居ていい。でもベッドは一つだから俺もそこで寝る」
「いいのか?本当に?」
「こんな子供を放り出す訳にはいかないだろう。泊めてやるだけだぞ。パンはもう無い。水はそのテーブルの上。先に寝てろ。俺はまだ仕事がある」
「助かった。今日は特に寒いからさ。誰かと寝たかったんだ」
 
さっきまでの不遜な態度とは変わって、意外に素直にベッドに戻って行った。
やはり足音がしない。大体細すぎて存在感すら無い。もしかしたらこれは雪の精なんじゃないだろうか。そんな馬鹿げたことさえ考えてしまう。
頭を振って、再び向き直った。
少し前からコンウェルからの怪しい気配が消えている。しかしこんな無難なアクセスではどうにも深層を把握出来ない。
李家のシステムも当然のことながらすっかり強化されてしまってこちらも入り込むにはまだ暫くは時間がかかりそうだ。
とにかくそろそろここも潮時だ。数日中には離れよう。あの腐るほど金を持つ化物のことだ、俺一人の居場所は掴むことなど簡単なことだろう。しかしルウの為に、自分は逃げ続けなくてはならない。
灯を消して服を脱ぎベッドに入った。
 
「おい、野良猫。居候のくせに真ん中に寝るな。もう少しつめろ」
「猫じゃない。リョーニャだ。あんまり押すなよ。壁が冷たい。穴が開いてるんだよ」
「仕方ないな。くっついててもいいが俺を襲うなよ、リョーニャ。俺は高いぞ」
「誰がおまえみたいなでかい男襲うか!100ルーブル貰ったってごめんだよ!」
 
いつもは冷たい布団が温もっている。
誰かと一緒に寝るなんて、いつ以来だろうか。
小さなルウを抱き締めて口付けて、自分が守ると誓った。
湿った空気。花の香り。子供だけの世界。
今は祈るしか出来ないけれど、それでも心は変わらない。
おまえを守りたい。
ずっと愛していたのに。この世の誰よりも強く愛していたのに。愛されていたことに気づかなかった罪。その代償に俺は、この先の全てを捨てるのだ。
 
につづく
 

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(2011/06)




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