Sleeping Tiger
 
 
誰よりも強くなりたいのは
愛する人を守る為ーーーー
 

「ストップ!参りました!」
「・・・・。もう降参か。早いな」
「殺す気ですか」
「ちゃんと止めた」
 
目の前に細く白い指がある。
こんな深窓の妃のような指先が鋼も圧し折る凶器であるとは多分それを見た者でないと信じられない。
 
「こんな紙一重を寸止めとは言いません。風圧だけで頭を砕かれるかと思いました。ほらやはり少し切れている!」
「そう言って誰も俺の相手をしないから加減が分からなくなっていくのだ」
 
義父から習ったのは射撃だけ。他は全て自己流の自分が相手をできる人ではない。
息も絶え々の自分と比べて前髪一つ乱さぬ涼しい顔のままに物足りなそうに構えを解く。どうにかこの方の持て余す力を受け止めてくれる者はいないだろうか。
仁・・・一瞬浮かんだ名前を即座に消し去る。あれはもういない。もう会うことはない。
 
「そうだ秀徳の所に行こう。あれはああ見えてかなりのやり手だ。俺の相手をするかどうかは分からんがおまえをもう少し鍛えてはくれるだろう」
「え・・・それはしかし」
「来るなと言われていると?そんな冗談を真に受けるな。それは逆に来て欲しいということだ。連絡を取っておいてくれ」
 
 
 
 
小さい頃に。一人で遊んでいるうちに道場に迷い込んでいた。そこで長兄の翼劉と秀徳が手合わせをしているのを見た。
李家の跡取りとして優秀な師範の下に全ての武道を極めていた翼劉。多分父以外に敵う者はいなかった。それと対等に渡り合う秀徳。それだけでも凄いことなのに。
 
自分には見えた。
秀徳は力を出していない。
そうだ、チェンが自分にするのと同じ。
手抜きと悟られぬ程の加減で力を封じている。
チェンは弱い自分を傷つけないようにと気を使ってくれているのだろうけれど。
秀徳はどうして。
 
そしてそんな状況で侵入者の気配に気付いたのは秀徳だけだった。
俺に気を向けた隙に翼劉に切り込まれた。
「邪魔をしたら怒られる」
瞬時に身を隠して震えていたが翼劉は自分に気付いていないようだった。秀徳も何も言わない。
 
「・・・参りました」
「いや、ぎりぎりだった。流石だ秀徳。間も無く俺を倒すのではないか」
「まさか。翼劉様には到底敵いません。しかしお守りする為に精進は致します」
 
そしてそのまま反対の出口から翼劉は出て行き、端にあった眼鏡を掛けて秀徳もそれを追った。恐る恐る少しだけ顔を出して見送った俺に振り返り、秀徳はにこりと笑った。
 
父の死後、後を継いだ翼劉の側には秀徳が居た。俺は父との約束で少しだけ家の仕事に関わってはいたが、それを翼劉はよく思っていないようだったのでできるだけ近づかないようにしていた。
ただ・・・出来る事なら一度は見たいと思っていた。秀徳の本気の力を。
 
数年後、何重もの手回しの末に罠に掛けられた翼劉は殺された。
愛人の店の中での呆気無い最期だった。
いつも影のように寄り添っていた秀徳はその前日に何者かに襲われて翼劉を庇い負傷し絶対安静であったという。そんな秀徳が止めるのも聞かずに兄は女の元に出掛けそして二度と戻らなかった。
 
傷が癒えて田舎に帰るというその日。俺は秀徳の前に立ちはだかった。
 
「あ・・・清劉様?」
「俺が分かるか。なら話は早い。俺に付いて来い」
「私は」
「俺に口答えするな」
「・・・」
 
そのまま半ば無理矢理に道場に連れ出した。
 
「病み上がりでおまえには不利だが丁度ハンディがつく」
「お待ち下さい。無理です。李家一の腕である清劉様に私などが」
「俺を見くびるなよ?」
「・・・え?」
 
返事を遮り蹴りこんだ。
やはりまだ傷が痛むのか全て受け流され続けるが、そんなことすらできる者は今までチェン以外に居なかった。期待で胸が震えた。やはりそうだ。強い。正に眠れる虎だ。俺が目を覚まさせてやる。
 
「どうした?それではおまえをわざわざ片田舎から引き抜いて来た翼劉も浮かばれないなあ?この程度の側近しか居なかったのなら殺されても当然だ」
 
秀徳の目が変わった。無難ながらも切り込んで来る。
目を開けたか。それでいい。さあもっと。俺に見せてみろ。
誰も信じられないこの狂人の巣窟で、もしかしたら一縷の希望になるかもしれないものを。
 
どれ位時が経っただろうか。こんなに汗をかくまで真剣に戦ったのは初めてだった。首と鳩尾。同時に急所を寸止めし、ようやく力を抜いた。
 
「本当のことを言え。・・・それがおまえの本気か?」
「・・・殺してもいい相手ならまだ行けます。でも私はあなたを殺せない。だからこれが精一杯です、お許し下さい」
「なぜ殺せない」
「翼劉様の・・・弟君だからです」
「成程、分かった」
「清劉様?」
「秀徳。いつかもし俺が立つ事があれば、俺の下に来い。翼劉の側にいた時よりも楽な筈だ。少なくとも俺はおまえの気持ちにも気付かずに馬鹿な死に方をした兄よりはおまえを知っている」
「あっ・・・」

何度も怒らせ呆れさせたが、秀徳にあんな恥らう顔をさせたのはあれが最初で最後だ。隠し通した筈の傷を無遠慮に抉った俺の下に来るかどうか。それは賭けだったが。
 
約束など忘れてしまう程に時が流れた紆余曲折の末の襲名の儀の朝、秀徳は来た。俺は黙って杯を差し出した。
それまでの翼劉の側近は全て容赦無く追い払ってしまったので、そんな中で平然と俺の隣に座る秀徳には裏切者、卑怯者との誹謗中傷が雨霰と掛った。
しかしいつしかその秘書としての能力には誰も何も言えなくなった。
今までの何倍も、小気味良い程に飄々と、秀徳はその力を見せ付けてくれた。
仕事に関しては俺すらも何も言えなかった。ただ子供のように怒られ従い日々延々と説教をされた。その力は李家の裏の首領と言っても過言では無かった。
 
それでも・・・決して秀徳はカンフーはしなかった。
おまえがいればよいと言い張る俺を無視して自分は事務仕事に徹して、嫌がらせのように他から役立たずの護衛を雇って俺に張り付けた。
俺にも本気は見せない。
だからと言って俺を守る気も無い。
再び目を閉じた虎・・・
 
 
 

「本当に来たのですね」
「久し振りなのに冷たいな、秀徳」
「こんな田舎までわざわざ来た酔狂な客は二人目ですね」
「兄弟だから嗜好が似ているのだ。でもおまえだってそういう酔狂者に口説かれるのが好きなのだろう?」
「はいはい、そういう事です。来てしまったものは仕方無い。こんな田舎ですがゆっくりしていって下さい」

かつて師範をしていたという道場は半分は倉庫になっていた。
残り半分で近所の子供に教えているのだという。
こんな平和な場所で身を守る必要も無く、体力をつける為だけの遊戯。
穏やかな笑い顔。しかし未だ忘れられぬ残像。
 
「さて。では早速だが手合わせ願おうか。大丈夫だ、俺は足が動かない」
「冗談は止めて下さい。ウィンから全部聞いています。この間もどこか外国で絡んで来た巨漢のチンピラを蹴り倒して半殺しにしたそうじゃないですか、恐ろしい」
「・・・なんだウィン。おまえたちは随分通じ合っているんだな?ふうん?」
「清劉・・・だから秀徳の所は止めましょうと言ったでしょう・・・」
「裏の山には虎も熊もいますからどうぞ行って存分に戦ってらして下さい。帰りに夕飯用に兎でも捕って来て下さると助かりますね。じゃあウィン我々は畑に野菜を取りに行こうか」
「おまえら・・・ふん、分かった、捕って来てやる。虎鍋の用意をしておけ!」
「清劉!待って!」
「ははは。放って置きなさい。元よりあの方の相手は人間じゃあ無理なんですから」
 
熊笹を掻き分けて山奥へと向かった。
こうして山歩きなど思いもしなかったことを経験する度に思う。
守って守られて。多大な犠牲を払ってもこうしてこの世に戻った俺は幸せなのだ。
愛する人を守れないのなら、強くなる意味など無い。
もう秀徳に、守る者はいない。守る機会も与えられずに奪い去られた。
翼劉。どんなに愚かであろうと、あれが唯一無二の秀徳の真実。
この穏やかな世界から虎を見出し連れ出し魅了した唯一人の男。
 
立ち止まって木々の隙間から僅かに見える空を眺めた。
秀徳は・・・空を見上げるしかない。そうして思うしかない。一人で生きるしかない。使うあての無い力は・・・眠らせるしかない。

ふうっと溜息を付くとガサガサと笹が揺れた。黒くて大きな影に本当に熊かと思ったらウィンだった。追って来たのか。
 
「はあはあ・・・待ちなさい清劉!ほんとにあなたは!どこの足が悪いのですか、山の中をそれだけ走れれば十分でしょう!」
「ウィン・・・」
「え?・・・なっ!何ですか、その目は。・・・なぜ脱ぐのですか!こんなところで・・・虎に襲われても知りませんからね」
「見せ付けてやれば奴らも発情して雌の元に帰るだろう」
 
抱き付き熊笹の上に押し倒した。
強く。誰よりも強く。
もう決しておまえを傷つけない為に。
ただそれだけの為に。
見えない気持ちでも失った思い出でも無く、欲しいのは唯一人の体。生きた肉体。
我儘な俺を受け入れ、笹の葉から守るように抱え上げる腕。
俺の強さの根源。生きる理由。
 
もし。
いつか。
秀徳にチェンに。また守るべき者が現れたら。
その時こそ見せてもらおう。本当の強さを。
 
いつか。
おまえたちになら俺は喜んで負けよう。
その日を夢見て。
 
いつかーーー
 
 

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(2011/02)
 

 

 

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