理性なんて飛んでいた。初めこそ恐る恐る秘宝を扱うように触れ、それに焦れてあれこれ命ぜられる声に従っていたものの、途中からは我を忘れ全く余裕は無くなっていた。ただ本能のままに貪りまくった。
薄く開いた目から流れる涙の美しさと哀しさにふと我に返る瞬間もあったが、それでも止まらなかった。
 
 
激しい交わりの熱気はすっかり夜の冷たい空気に取って代わっていた。腕の中のこの世の者とは思えない程の美しい人は、何か幸せな夢でも見ているように時折微笑みながら眠っていた。
 
唯一つの生きる拠り所だった人。自分の穢れた世界では決して出会うことは無いと諦めていた人を見つけた。そして願った以上の情けを受けた。初めて口を聞き体に触れてからほんの半日も経っていない。でも確信していた。自分はもう決して離れることはできない。
 
月灯に浮かぶその顔を何時間も飽きることなく見ていた。生まれてこの方どん底の人生で幸せなんて感じたことが無いからそれがどんなものかは知らないが、もしかしたら今心にあるこの感情なのではないかなどと思えてしまう程に、それはとても安らかな時間だった。やがて月が隠れ空が白む頃、少し濡れた長い睫毛がゆっくりと動いた。
 
 
「お目覚めになられましたか」
 
状況が把握できないのだろうか。完全に身を任せたままで数度瞬きをした。昨日の今日で自分にこんなに隙を見せてくれているのが嬉しくて思わず力を籠めその名を呼んだ。
 
「清劉様」
 
はっとして見上げた顔はまたあの時のものだった。目を見開きこちらを見上げた後、しかしすぐに表情を険しくした。
 
「俺は・・・信じられない・・・」
 
さっきまでの穏やかな寝顔とはまるで違う冷たく厳しい刺さる程の視線。途端に自分がしてしまった無礼を思い出しじんわりと温もっていた心が一気に凍っていくのを感じた。
 
「すみません私は・・・銃創で熱がある貴方様にあんな勝手を・・・」
「そんなことより俺はこうしてどれだけ寝ていた?」
「え・・・ああ、もう朝ですからかれこれ5時間以上は・・・。熱が高いです。まだ起きない方が」
「そんなに眠ったのか!?しかもこんな・・・こんな穏やかに目覚めたのは・・・チェン以外には・・・」
 
振りほどかれるかと思った腕は予想外にそのままで見つめられた。自分のような得体の知れない者に抱かれたことよりも、その側で熟睡してしまったのがよほど驚愕だったようだ。しかし驚愕は瞬時に興味へと変わったらしい。さっきまでの殺気は消え、恐らくそれが素顔なのであろうあどけない表情でゆっくりと周りを見回している。
 
何と妖艶ながらも可愛らしく魅力的な姿なのだろう。抱き締めたい。離れたくない。
深く反省する気持ちは本物なのにああどうしてそれに反してこんなに淫らな感情ばかりを覚えるのか。欲望が体を渦巻いて、それを振り切る決死の思いで腕を解き立ち上がった。
 
「何か用意します」
 
普段は使わない家なので大した用意はできなかったがありあわせの物で粥を作りベッドに運んだ。
 
「こんなもので申し訳ありません」
「素性を知らぬ者の施しは受けない」
「・・・そう・・・ですよね」
「でもおまえは信じる。久々に眠ったら何か食べたくなった」
 
依頼人とターゲットの関係までは把握していないが恐らく近しい親戚だ。そのような者にこうして命を狙われるような生活なのだ。ゆっくりと眠る間も食事をする間も無かったのだろう。狙った自分が思うのもおかしな話だがその厳しい境遇を思うと哀れになる。撃たれ傷つけられるべきでは無い、喧騒とは無縁に見えるこんなに細く白く美しい体なのに。
叶うならばずっと側に居たい。あんな険しい表情では無く、この穏やかな素顔でいつも暮らせるように守って差し上げたい。
 
「ふうん。食えなくは無い」
「屋台を引いていたこともありますので」
「笑えない冗談だな」
 
いや、冗談では無いのですが・・・と反論する間もなく匙が置かれた。結局口にしたのはほんの少しだった。頬が赤い。熱が更に上がってきているのだろうが薄っすらと汗ばむその扇情的な姿にまた魅了されてしまう。必死で目をそらすがやはり気づくと見つめてしまっている。あんなに恋焦がれた天上の人が目の前に居る。動いている。話している。夢ではないだろうか。夢でないことは昨夜のあの死にそうな程の快楽の余韻が証明している。はっと気づくと清劉が腕を傷口の当て布を取り去りそれを見ていた。
 
「痛みますか」
「は?当然だろう」
「本当に・・・私は・・・」
「やはり凄い。あの状況で骨も大動脈も外し貫通させている。咄嗟に外したと言うのは本当らしな。ガキの時分の初恋の相手じゃ無ければ殺られてたって訳か。くくっ。できればそうして欲しかったが」
「申し訳・・・」
「相当な腕だ。高いんだろう?」
「え・・・」
「金。いくらだ?いくらで人を殺す?」
「あ・・・」
「何だその顔は。おまえは請負暗殺者なのだろう?俺を殺すのにいくら貰った?俺はおまえを雇うと言った。おまえにいくら払えばいい?」
「・・・お金など要りません」
「ふうん。では何が欲しい?ん?」
「な・・・何も・・・」
 
清劉の目が怪しく光った。体が射すくめられたように固くなり血が熱く沸く。
 
「これじゃないのか?」
 
軽く体を覆っていた服を剥ぎ、恥ずかしげも無く生まれたままの姿で足を開き全てを露わにした。
 
「あ・・・」
「さっきから我慢しているだろう?言え。誰が欲しい」
「貴方様が・・・」
「名。清劉」
「はい。清劉様が欲しい・・・」
「いい声だ」
「清劉様・・・清劉様っ」
 
 
自分がこんなに理性の無い人間だとは思わなかった。むしろそういった俗な色恋には興味は無く、誰かを欲しいなど思ったことは無かったのに。
いやきっとこの方が魔物なのだ。それでもいい。食われても殺されても本望だ。あんなにしたのにまだ足りない。その体が欲しい。
 
「すみません」
「なぜ謝る」
「私は慣れていないので・・・自分ばかりで・・・」
「無遠慮で好き勝手な、それ位が丁度いい。それにおまえはこっちの素質があるぞ。俺は下手な奴とは二度としない」
 
そんな言葉を掛けられたら止めることなどできない。僅かに素肌を隠していた服を剥ぎ取ると、同時に自分がつけた生々しい傷跡が目に飛び込んで来た。
 
「すみません」
「今度は何だ」
「人を撃ったことをこんなに後悔したことはありません」
「俺は撃たれてこんなに恍惚としたことはない」
「え?」
「しかもこの痛みと熱の中でのこの疼き。こんなのは初めてだ。病み付きになる・・・。後悔するならもっと感じさせろ。早く。もっと激しくめちゃくちゃにしろ」
 
怪我人とは思えない力で引き摺られ逆に伸し掛かられた。そして絡み付く舌はもう懺悔の言葉を発することを許してはくれないのだった。
 
 
その美しい容貌とは裏腹な尋常で無い発言も行動も愛しくて堪らず、傷が癒えるまでの数日間、二人きりでこの狭いベッドの上で、数えきれないほど抱き合った、
何度抱いても飽きることは無く、むしろその度ごとに深く深く底無し沼に嵌って行くようだった。
 
 
 
その後共に街中に戻り、命ぜられるがままに仕事をした。うまく行けば子供に褒美を与えるようにその体を与えられた。情けなくもそれが欲しくて必死で従った。涙に暮れる儚き女神と信じた人は冷酷極まる鬼神だった。泣くのは・・・深く繋がったその時だけ。
 
名を呼べと言われる。
でも逆に自分が「ウィン」と呼んでくれるのは最初だけで、いつしかただ目を閉じて快楽の世界に一人で行ってしまう。
 
名を呼ぶたびに震える眦。そして溢れる涙。
 
誰かの代わりにしていると。口に出しはしなかったけれど、心を隠す気は無いらしいからすぐに分かった。
目を閉じて悪びれもせず他の誰かを思っている。誰かを呼ぶ心の声が聞こえる。
過去を詮索する気も涙の訳を聞く気も毛頭無い。吹っ切れない思いがあるのならそれも仕方が無い。でもせめてその気持ちは自分の前では・・・隠して欲しい。隠さないということは自分の価値はその程度なのかと悲しくなる。
 
でも言えない。何も言えない。手放したくないから。多くは望まない。今で十分だ。
 
それでいい。いやむしろそれで繋ぎ止められるのならいくらでも代わりになる。この奇跡のような人をこの手の中に抱く為なら、偽りでいい。貴方の思うままの者に喜んでなる。
 
こうして抱いていればいつか気持ちが同化する。そうなるようにと願いながら情熱を注ぎ込む。
 
「なぜ聞かない?」
「何を」
「・・・いや」
「・・・」
「そう言えばウィン。これはとても凄いことだと思わないか」
「何がでしょうか」
「おまえに会ってから俺は他の奴と寝ていない。おまえだけで足りている。誰としたって行き着く所は同じような物だと思っていたがおまえはそれを超えた。おまえはどうなんだ?他の奴とするのと俺と、違いはあるのか?」
「何という事を!私は!私は清劉様以外を抱く気はありません!」
「おまえ、俺が初めてか」
「・・・恥ずかしながら・・・」
「ははっ・・・悪く無いな。ふうん。そうか。そんな関係は鬱とおしいだけだと思っていたが面白い。おまえ、俺の愛人になるか」
「私は・・・そのつもりでいたのですが・・・」
「俺が決めることだ」
「申し訳ありません」
「その代わり覚えておけ。俺だけだ。他に目を向けたら殺す」
「有りえないことです」
「その顔が体が俺だけを見て俺だけを呼んで俺だけを抱く。これは幸運か天罰か。いずれにしても最高だ。では暫くこの遊戯に興じよう」
「・・・はい」
 
遊戯でもいい。でもきっと溺れさせる。貴方が誰かと面影を重ねるこの顔で。体で。抱いて抱いて抱きまくって、離れられなくしてみせる。
 
「せっかくいい声なのに、おまえは無口だな」
「ご希望とあらばもっと口を開く努力をしますが」
「いやいい。おまえはそれでいい」
「これが私ですから」
「・・・ああ」
 
そう。早く気付くといい。同じ人間などいないことを。
呼んでやる、いくらでも。この声が他の誰でも無く、今貴方を抱く自分の声だと分かるまで。
 
end
 

そして今の二人・・・ Real voice
(注・ウィンのイメージを壊したくない方は止めておいてください!)

 
 

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(2012/02)
 

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