夢で逢えたら
 
 
気候の良いこの田舎町に一回りも年下の子供と共に住みついて細々と仕事をしながら日々を過ごしている。ここはいい所だ。親子とも兄弟とも友人とも傍目には何とも分かりにくい自分たちの関係を詮索する目も無く逆に怪しいほどに暮らしやすい。勿論自分たちの境遇を考えればこの環境をいつでも捨てる覚悟はしておかねばならないのだが、今のところ幸いにもそのような状況は感じられない。
北の組織は帽子屋が裏の裏の、更に裏から手を回してくれたお蔭もあってリョーニャからは手を引いたようだ。多大なる貸しは勿論相当な報酬で支払ったが、それでも足りない分は恐らくリョーニャの人格で賄われたのだろう。ヤーかネイ以外は口に出す気は無いのだろうと思っていた帽子屋はリョーニャの前では饒舌なのだそうだ。全く信じられないがそれ程までに心を許す存在であったということだろう。
 
ところでこの不思議な力を持つ子供はもとより何に対しても欲が無く、その能力の所為で見ざる聞かざるの穏やかな日常を好むこともあり、まるで飼い猫のように静かに側に居るのだが、どうも最近はその存在感を無視できない程に育ってしまった。小さい頃はそれはそれで結構な特攻体質ではあったのだけど、大きくなった今ではこうしてぬっと迫られ伸し掛かられると食われるのではと腰が引けてしまう。
 
「な、なんだ、リョーニャ。何か用か?」
 
「決めた。会いに行こう」
 
「誰に」
 
「李清劉」
 
「おまえなあ。そんな気軽に会いたいからって会いに行ける奴じゃ・・・ってかおまえ交流無いだろ」
 
俺のすることに口を出さない受け身のリョーニャがただ一つ、「清劉に会いに行け」という言葉だけは事あるごとに言い続ける。こいつに限っては深い意味も意図もありはしない。ただ本当にその言葉通りなのは分かっているがこっちにはこっちの事情ってもんがある。いつも適当に受け流していたのだが、今日はやけにしつこい。
 
「別に会いたくない訳じゃない。用があれば会うが、大抵馬鹿犬への伝言で事足りるんだ」
 
「用事なんて無くていいじゃないか。俺は帽子屋さんに用は無いけど会いたいな」
 
「・・・同列にしないで欲しいな。君たちの関係は理解不能だ」
 
「そんなのこっちだってそうだしって今は帽子屋さんなんかどうでもいいんだ。行くぞ、上海」
 
「あの悪魔に向かってなんかとかどうでもいいとか言うなよ、瞬殺だぞ、おまえ。で、何だって?はあ?上海?」
 
北欧人特有のやけに長い手足で抑え込まれ、海色の瞳で睨まれた。
 
「待ってたらいつになっても行きやしない。だから連れて行く。俺が」
 
「リョーニャ・・・本気で言ってるのか?あのな?上海って海の向こうだぞ?」
 
冗談を言う奴じゃ無いのは良く知ってる。どうも今回は逃げ場はないらしい・・・。
 
 
 
ウィンは一人空港でイギリスからの客人を待っていた。
 
離れていても繋がっているとかいう関係も特別過ぎてとても許しがたいものだったがこうして本当に会われてしまうのも腹が立つ。清劉は冷酷非道に見えて情が厚過ぎる。自分がされたことをどうしていとも簡単に許してしまうのか。殺されかけたのだぞ?
 
「おまえだって同じじゃないか」
 
出掛ける直前までぶつぶつと恨み言を漏らしていたら、それがどうしたと言わんばかりに気だるげに背後から呟かれた。そして気分がすぐれないからと申し開きも聞いてもらえず寝室に行かれてしまった。
・・・確かにそうですが。でも違うんですよ。
・・・きっと何が違うのだと言われるんですよね。はあ。
溜息を吐き首をコキコキと鳴らした。とにかく一応仁にとっても故郷なのだから野たれ死ぬ前にもう一度位帰って来ても許してやろう。仕方が無い。さて今回はどうやってどこからどう現れるのかと連絡を待っていたが意外にも堂々と正面からキラキラ華やかな長身の二人が歩いてくるのが見えた。
 
「お迎えご苦労」
 
「凄いね、上海。なんか不思議な匂いがする!」
 
「まさか、普通にゲートをパスしたんですか」
 
「今回は正当な偽造パスポートだ。何の工作も無しに堂々と入国できた」
 
「ちょっと、しっ!あなたね。自分が発してる言葉の意味が分かってますか?」
 
「うるさい。いいからしっかり護衛しろ。天才銀鼠に何かあったらおまえのクズな命位じゃ償えないんだからな?」
 
「・・・そんなに大切なら無理矢理こんな所に連れて来なければいいでしょう、飛行機は苦手なのに可哀想に」
 
「俺が連れて来たんだよ、黒竜」
 
「え?」
 
「そう。文句ならこいつに言ってくれ。このパスポートは銀鼠作だ。金をけちった訳じゃ無いがチケットもいつのまにか作られてた。さすがに偽札はうっかり出回ったらやばいから廃棄させたが」
 
「誰かさんの教育のせいで素晴らしく悪い才能を開花させてしまいましたね」
 
「とにかくそういう訳だ。この引き籠りが俺の為にそこまでやったんだ。旅行位付き合ってやりたくなるってもんだろう」
 
「で、黒竜。李清劉はどこ?」
 
「あの人は人ごみが嫌いなので家に居ます」
 
「せっかく仁が来たのにそんな理由で迎えにも来ないなんて偉そうな奴。じゃあ行こうか。家に」
 
「あ・・・あの、銀鼠。清劉の前ではそんな自由奔放な発言はできれば控えて・・・」
 
「これにそんな腹芸は期待するな。あいつの怒りはおまえが受け止めろ」
 
「ああ・・・本当にもう・・・何しに来たんですか、あなた方は」
 
取りあえずもうどうでもいいから話だけさせてさっさと帰って頂こうとウィンは観光案内もせず二人を繁華街の一角の自宅へと連れて来た。リョーニャは一階にひしめくマーケットに興味津々のようだがさすがに今回の目的を果たすまではと大人しくしている。
 
「こんなみすぼらしいアパートに住んでるのか。甲斐性無しめ」
 
「いいんですよ、ここは賑やかですし、別に必要最低限の物さえあれば。前の無駄に広い御屋敷なんてほとんど使ってる部分は無かったんですから」
 
「俺は狭い家が好きだぞ。その方がくっついていられるもんね」
 
「はいはい、狭い家の狭い客間なので存分にくっついて使って下さい。さあどうぞ」
 
家の中はしんと静かだった。
 
「清劉?」
 
返事は無い。まだ寝室に居るようだ。
 
「どうした」
 
「ちょっと具合が悪いようでベッドに居るのですが・・・。多分・・・」
 
「多分?」
 
「困惑していると言うか、まあ有体に言えば焼きもちとか・・・とても繊細な方なので」
 
「分かるよ。俺だってそうだ」
 
あなたが繊細?はん?と鼻を鳴らすウィンの隣からリョーニャが仁の背を押した。
 
「部屋に行って来なよ。二人っきりで話せばいい。俺は別に会う必要も無いからここで黒竜と話してるし、長くなるようなら外に連れてってもらうし。黒竜と一緒なら外出てもいいだろ?」
 
「まあな。俺たちが二人きりで居ることにこいつがキレていきなり発砲しなければ」
 
「する訳無いでしょう。せっかく人の迷惑顧みずやって来たんですから二度と来なくて済むように一生分話をしてって下さい。あっちの奥のドアです」
 
「じゃあ・・・そうさせてもらう」
 
 
仁はゆっくりとドアの前に立ち、一呼吸おいてノックした。
 
「ルウ?俺だ。開けていいか?」
 
返事は無かったが鍵は掛かっていなかったので、仁はそっと中に入った。窓際のベッドがこんもりと盛り上がっていた。それを見た途端、仁の記憶が過去に飛んだ。どうしても外せない家の用事があって約束の時間に遅れた時、慌てて駆けつけて扉を開けると一人ぼっちのルウはこうして布団に潜ってしくしく泣いていた。
 
「泣いてるのか?ルウ」
 
「はあ?」
 
布団から現れた顔は恐ろしく不機嫌だったが涙の跡は無かった。本当に寝ていたらしい。それはそうだ、もう・・・何十年も前のことだ。苦笑した仁の時間は一気に現実へと戻された。
 
 
「体調が悪いのに済まなかったな」
 
「いや・・・本当に来たんだな。本物か?」
 
「久し振りだな。少し起きて話せるか?」
 
「チェン」
 
「何だ?」
 
「このままで・・・」
 
「その方が話しやすいか。そうだな、俺たちの関係は様々に変化しちまって、どういう顔で対面したらいいのか分からないものな。しかしおまえ、ようやく一人で寝られるようになったか」
 
「いや・・・一人でも寝られるのはこのベッドだけだ」
 
「マーキングがされてるって訳か」
 
笑いながらチェンはベッドに腰を下ろし、再び顔まで掛けられた布団をそっと剥いだ。
 
「恥ずかしがってるのか?おまえがこんな可愛い反応をするなんて意外過ぎるな」
 
「笑うな。おまえが悪い。他の奴のものになったおまえにどう接していいのか分からない」
 
「おいおい別に嫁に行った訳じゃないぞ?まあ仕方無いか。何にも知らない子供の頃からおまえだけに真っ直ぐに気持ちを押し付けてたからなあ。でも俺は何も変わってない」
 
「香りが変わった」
 
「それ位は。葉巻の銘柄には特にこだわりがある訳じゃ無いからな。その場所場所で気分で選んでる。はは、くすぐったいな。そんなに鼻を寄せるな、ぞくっとしたぞ。全く。そういうことを無自覚にやるなよ。でもそうやって素のままで居てくれるのがいい。ガチガチに武装していたおまえは痛々しかった」
 
「チェン」
 
「ん?」
 
「おまえの夢を見てた。覚えているか?初めて会った日」
 
「忘れるもんか」
 
 
いつも泣いていた。三人の義兄たちはいつも喧嘩をしていて、それに飽きると小さな自分に難癖をつけて虐めて来た。玩具や菓子を取り上げ物を隠す程度ならまだ我慢も出来たが、まだ赤子の域を出ない幼児に聞かせる母と自分の悪口は酷いものだった。
 
「ちびルウ、こっち来いよ」
「遊んでくれるの?」
「あ、おまえまた新しいクツ作ってもらったな。それ貸せよ。泥団子入れてやる」
「やめて」
「もう泣いてるぞ、変な顔。うちにはそんな目がでかい奴はいない。それは日本の妖怪の顔だ。おまえの母ちゃんも同じ化け物の顔してるんだよな」
「父さんを食おうとして逆に殺されたんだぜ。ざまあみろ。汚いしょうふって俺の母さん言ってた」
「色も白くて変だよな。病気だぞ、それ。うつるうつる!逃げろ!」
 
クツを取られ泥を投げつけられ、泣いていた背中に強い視線を感じた。
 
「誰?」
「え、気配を消してたのに。よく気がついたね」
「消えてたの?」
「勘がいいんだね。背中に目があるんだな」
「無いよ!ぼくは・・・ぼくは妖怪じゃない!」
「ごめんごめん、褒めたつもりだったんだけど。気を悪くしたならごめんよ。ぼくは仁。チェンって呼ばれてるからそう呼んで。君は?」
「・・・ルウ」
「ルウ?ルウってもしかして李清劉?」
「・・・うん」
「なんだ、君だったのか!小さいし汚れてるからてっきり他所の子だと思ったよ。こんな所で会えるなんて思わなかったな。今日はね、これからここで勉強をするのに挨拶に来たんだよ。同じ年の末っ子がいるから後で紹介するって言われてたんだ。でも大人の話が長くていつになってもその子が来ないんで、つまらないから抜け出して散歩してたんだ」
「ここで勉強?一緒に?ここに住むの?」
「ううん、家から通うけど、でも勉強も武道も全部ここで受けるからほぼ毎日来るよ」
「・・・一緒に遊んでくれる?」
「こちらこそ、李家の本筋のお坊ちゃまに遊んでいただけるなんて光栄なことです」
「んん?」
「そう挨拶しろって言われたんだ」
「そうなんだ。嬉しいな。いっぱい遊ぼう、チェン」
 
チェンは優しくて強かった。チェンと居ると義兄たちも手出しはして来なかった。チェンがいたから頑張れた。チェンが世界の全てになった。
 
 
無邪気な昔の思い出に心が解れたのか、清劉はゆっくりと起き上った。
 
「おいおい・・・服くらい着ろよ」
 
「そこの扉を開けて適当に取ってくれ」
 
呆れながらも仁はクローゼットから深蒼のチャイナ服を取ってベッドへと投げた。
ぼそぼそと面倒臭そうに着替えた清劉は、ベッドに腰掛ける仁の背にもたれ掛った。
 
 
「世話の焼き甲斐のあるお子様だったが未だにそうだとはな。よくもまあこれで李家の長をやってたもんだ。秀徳が嘆いてた訳だ」
 
「俺はただのイメージキャラクターみたいなものだったから。おまえが頭になっていればもっとうまくやれただろう」
 
「俺だって万能じゃない。クジャクと一緒さ。おまえを惚れさせる為に見栄を張って羽を広げてたんだよ。惚れてくれるまでずっと待つつもりだったが」
 
「我慢出来なかったのか。仕方無い。若かったからな」
 
「他人事みたいに言うな」
 
庇護の気持ちが愛情に変わり、そしてそれにいつから欲望が伴ったのかは曖昧だ。いつのまにかそういう対象として見てしまっていた。
 
「いつものように天の川を見ながらただ手を繋いで寝るつもりだった。でも・・・星明りに照らされたおまえの顔があまりにも儚くて美しくて・・・」
 
「つい手を出した?」
 
「・・・はい」
 
「誘った俺も同罪だ」
 
「誘ってたのか?」
 
「俺は良くそう言われたから。おまえが誘うのが悪いと。だからそうなんだろう」
 
仁の手にに清劉の手が重ねられた。
 
「そうだな。きっとおまえがこうするだけで誘いと思われても仕方が無い。ほら見ろこんなにも動揺してしまってる。どうしてくれるんだ」
 
でもあの時のおまえに自分の意志は無かった。ただ俺の為に黙ってその身を投げ出した。
 
「言い訳をするなら、俺は本当に心が伴うまで待ちたかった。恋人になりたかった。あんな強姦まがいなことをしたのは・・・」
 
「俺は別に痛いのは平気だし、そう言えばおまえの肩越しに見えた星空が綺麗だった」
 
「おまえなあ・・・なんだその冷静な記憶は。って言うかその程度か、おまえの中では」
 
「でもそれがおまえが俺から離れるきっかけになったのだったら拒絶するべきだったのだろうな。抱き合う毎に心は近づくどころか離れて行った」
 
「そうだったな」
 
ある日突然、チェンは家を出て隣の町の学校に行くことになったと家庭教師に告げられた。一人で勉強も稽古もする気になどなれなかった。屋敷を抜け出し学校の前でずっと待っていた。そうすると家に連絡されてすぐに迎えが来た。翌日からは見つからないように少し離れた所で待った。一日適当に時間を潰し、夕方にチェンの安下宿に押しかけた。何度もそんなことを繰り返し連れ戻され。いつしか俺は不良少年のレッテルを貼られ一族から見放されて行ったがそれはむしろ願ったり叶ったりだった。何もかもが物珍しく、興味が沸く時期だった。そして心も体も変化する時期。
街中で、チェン以外の同年代の者達と初めて触れ合った。
全く無能だと思っていた腕は、見上げる巨漢もなぎ倒した。
チェンにはどうしても勝てなかったカードゲームは子供騙しのように勝ち続け。
そして脆弱だと悲観するしかなかった体は秘宝のように崇められた。チェンに抱かれるのはあんなに心が痛かったのに、遊びのセックスは何もかも忘れてただ感じていれば良かった。
 
視野が広がるにつれ少しずつ少しずつ、チェンとの二人だけの世界に亀裂ができた。大人の自覚をする度に守ってもらう理由が無くなっていく・・・
 
 
「勉強してるのか。相変わらず真面目な奴」
「おまえはすっかりろくでなしだな」
「ふうん?最近俺は結構この辺のカオなんだ。その俺にそんな口を聞く奴はおまえ位だ」
「こんな所で頭を張ったってたかが知れてる。おまえはそんな小さな器じゃない」
「小さかろうが大きかろうが楽しくて気持ち良ければそれでいい」
「薬は止めておけよ。取り返しがつかなくなる」
「薬なんか使わなくても裸で抱き合えばいくらでも飛べる。俺はそっちの才があるようだ」
「おまえ・・・」
「でも女は自分本位で面白く無い。しかも一回ヤれば恋人気取りだ。男の方がいい」
「馬鹿な。倒錯してる。おまえはいつか竜となる身・・・」
 
清劉の唇が仁の言葉を遮った。
 
「何をする」
「したくないのか?」
「おまえらの遊びと一緒にするな」
「何が違う?やることは一緒だろう?」
「ルウ・・・」
「格好つけても体は正直だぞ?」
 
 
分かっている。おまえが俺を誘うのは、それはただの蔑み。
勉強も武道も、決しておまえには負けなかった。そんな俺がこうしておまえの色香にあっけ無く負けて堕ちるのがおまえは可笑しくて仕方無いのだろう。
それでもいいと・・・思ってしまう俺こそ倒錯している。
ああ、でもルウ、これだけは分かって欲しい。俺がお前に負けない為に、どれ程身を削り努力して来たかを。全ておまえの為。おまえを守る為。おまえを幸せにする為・・・。
愛している愛している愛している。
こうしておまえを抱くのは、本当におまえを愛しているから・・・。
 
 
 
「あの頃の自分は好きでは無い」
 
体を横たえ、仁の膝を枕に目を閉じながら、清劉は憎々しげに呟いた。
 
「はは・・・だろうな。最悪だった。でも俺はどんなおまえでも愛していたよ」
 
「あの頃俺を愛してくれたのはチェンだけだった」
 
「だから俺にしておけば良かったんだ」
 
「仕方が無いだろう。あの頃は俺は本当に子供で・・・」
 
確かにあの頃の日本人医師と一緒に居たルウの顔は、無邪気な子供の頃の顔だった。自分だけが知っていた顔を向けられるあの男に嫉妬した。早く大人になって取り返してやると、それだけを思って必死で耐えた。 
 
「年上への憧れ、手に入らない者への執着、日本という国への抑えられない感情。野分への思いはやはりどうしても説明はつかない。でもこうして今穏やかにあの頃を思えることは素直に嬉しいと思う」
 
仁は膝の上に流れる琥珀の髪を手で梳きながら、初めて清劉が野分への思いと、そして半分の祖国について語るのを聞いた。
 
「説明なら俺がしてやろう。顔が好みだった。それだけ」
 
「おい、俺は結構本気だったんだぞ?あの思いをそんな答えで纏めるな」
 
知ってるさ。おまえがそうやってあの頃を思い出せるようになったのは本当に良かったと思う。あの雨の夜のおまえの泣き顔を思い出すたびに俺も泣きそうになる。あんな思いは二度とさせたく無い。
 
「それ以外に俺が負けた理由が思いつかない。ああ言っておくが顔も負けてはいないがこればかりは個人の趣味だからな。どうにもならん。全くおまえの嗜好は屈折してる。あんな頭の悪いもっさりした寝ぼけ顔の・・・」
 
「ちょっと待て。おまえ別の奴と混同してないか」
 
「おっと。あはは、仕方が無い。だって俺はあの医者のことはほとんど覚えていないからな」
 
「おまえも忙しそうだったしな。留学までしてしまったし」
 
「俺の意志じゃない」
 
 
 
同じ大学に通っていたのに専攻が違うこともあって会うことは滅多に無かった。仁が英国に留学すると秀徳から聞いたのは出立の三日前だった。 
 
「なぜ英国になんか行くんだ。聞いていない!」
「翼劉兄から聞いてないのか?おまえんとこの留学制度とか、新しい事業の一環らしいけど?」
「だからどうしてチェンが・・・」
「さあね。大本家御当主様の御命令ですから。末端の俺になど選択肢はありません」
「馬鹿な。間も無く戦争になるというこの時勢で欧州に向かって何の得がっ!おかしい!」
「そう思うならおまえが長になって正しく支配すればいい」
「・・・長は翼劉だ」
「ではそちらに従うしかないですね」
「チェン・・・俺は・・・」
「ん?」
「いや・・・」
 
おまえと離れたくなど無かった。でも、その時の、本当に何年振りだろうか、帰らないでと泣いて縋ったあの頃と同じその目を見た時に。
俺は行こうと思った。策略に嵌るのは悔しかったが・・・同時に正直、重荷が落ちた気もした。あの時から、おまえを抱いた14の夏からずっとずっと縛り続けられていた心を、少しだけ解放してやりたかった。少しだけ休んだら、身も心ももっと強くなっておまえの元に帰って来る。そしてその時は、おまえは俺だけのものになるんだ。
 
 
「その後はおまえの知ってる通り。まさに転石の人生だ」
 
大きく伸びをすると仁はベッドに上半身を沈めた。その隣に清劉も体を寄せた。
 
「でも今は楽しくやってるんだろう?」
 
「楽しくって言うか・・・まあ普通に」
 
波乱万丈の人生の果てに、こんな穏やかな時間は待っているとは夢にも思わなかった。
 
「おまえは子供の頃から走り過ぎていたから。少し休めばいいんだ」
 
「そうしたいのですがなかなか休ませてももらえませんで。相変わらず何だかんだと飛び回ってる」
 
「おまえの銀色の話はウィンから聞いた。面白いのを見つけたな」
 
「生きてると色々あるね」
 
「ウィンとも仲良くやってる様だな。そう言えばニューヨークでは一緒に仕事をしたらしいじゃないか」
 
「安賃金でこき使われた。おまえの為じゃなきゃ誰があんな奴の仕事なんか手伝うか」
 
「自分は石油大国相手に随分大きな仕事をしてたようだが?結局撃った奴は捕まってないんだろ。誰だったんだ?」
 
「あああれな・・・」
 
「どうした、知ってるんだろう?俺にも言えないのか?」
 
「MADHATTERっていう・・・請負殺人者だ。おい見てみろこの手汗!ああ思い浮かべるのも恐ろしい。あれはなあ。俺もほら、おまえがコンウェルに殺られたとばかり思ってたから何が何でも仇を討とうとして・・・背に腹はと言うかそんな決死の覚悟でコンタクトした最強凶悪の暗殺者・・・なんだが、俺の潔い金払いとうちのあれを何故かお気に召されたようで御贔屓にして下さって・・・いやだから俺は死ぬつもりだったから金にも命にも執着が無かっただけで今はできればお近づきにはなりたくない相手って言うか・・・なのに今回のはあっちが勝手にうちのに営業して来たんだぞ。暗殺者が自ら営業なんてそんなことってあるか?おかしいだろう?ほんとに何考えてるか分からないんだよ、ああ恐ろしい!」
 
「おまえがそんなに挙動不審になるのは初めて見た。本当に恐ろしい奴なんだな」
 
「悪魔には悪魔で応じるしかなかろう。最後の手段だったんだよ」
 
「営業する悪魔なんて可愛いじゃないか」
 
「怖いもの知らずのアラブの王子が金に物言わせて帽子屋に仕事を依頼したんだ。だけどさすがに金はあっても知識が無きゃ裏の仕事は出来ないし仮にも一国の皇太子があれこれ動けないだろう。それで俺にコーディネートの仕事が回って来たって訳だ。なのに馬鹿犬が余計なことをして!全くあれは寿命が縮んだ」
 
「請負殺人者。世の中には本当にそういう類の人間がいるのだな。きっと精神構造の何かが根本的に違うのだろう。俺は相容れないだろうな」
 
「言っておくがあの馬鹿犬もそれなりにその世界では名が知れてるんだぞ」
 
「あれは駄目だ。俺の暗殺に失敗した。その程度だ」
 
「それは・・・いや。そういうことにしておこう。しかしまあ良かったよ、あいつがヘタレで。お蔭で俺のルウはこうして美しく生きていてくれるんだから。おまえがあんな奴に殺されてたら俺は死んでも死にきれなかっただろう」
 
「俺は殺されても良かったんだけどな。ウィンに撃たれた時の快感は忘れられない。最近倦怠気味だったのでちょっと撃ってみてくれないかと頼んだら泣かれた」
 
「・・・ほどほどにな」
 
「ほらここだ。貫通はしたがまだ痕は残ってるな」
 
「全くあの馬鹿。俺のルウの体にこんな傷を」
 
仁はそっとその肩口の傷跡に唇を寄せた。
 
 
 
 
誰も彼もが居なくなり、また一人になった。絶望の日々が続いた。せめて夢で逢いたいと、疲れと人肌を求め行きずりの者に身を委ねたりもしてみたが駄目だった。もう終わりだ。
死にたい死にたいと、ただそれだけに支配された俺の前に現れた暗殺者。自分を殺すために現れた『漆黒の小』。なのにそれは言った。「共に生きて欲しい」と。「一人にしない」と。
 
 
「おまえの相手が出来るのは今でも俺しかいないと思っている。でもな、俺だけじゃ駄目なんだ。だからウィンが側に居てくれるのはありがたいと思っている」
 
「どうしておまえでは駄目なのだ」
 
「何だろうなあ。あの強欲さが俺には無いとでも言っておこうか」
 
「ウィンが強欲?」
 
「強欲で獰猛でおまえしか見てない。あれはけだものだ。そしておまえはそういうのに噛まれるのが好きな性的倒錯者」
 
「ははは。その通り」
 
「不本意だがいいように言ってやるとすればあれは無心なんだ。言ったろう、俺はクジャクなんだよ。俺はおまえの前で許容以上の者になろうとしてしまう。いくら自分を完璧にしたつもりでもおまえに見合う者になりきれる自信はきっと生涯持てない。それは精神を食み結果的にはろくなことにならないだろう。つまり簡単に言えばおまえの恋人には相当の自信家か馬鹿じゃなきゃなれないってこと」
 
「ウィンは?」
 
「勿論後者」
 
「でも実は案外あれは自信家なんだぞ?」
 
「知ってるさ。おまえは強い男が好きなんだ。守られる愛を知ってしまったらもう手放せない。俺も同じだから分かる」
 
「あの子供がおまえを守ってるのか」
 
「これでもかって程甘やかされてるよ。ここまで手を引いて連れて来てくれたんだから」
 
天窓から見えていた夕焼けはいつしか星空になっていた。昔と同じその星を暫く二人で黙って見上げていたが、やがて清劉が寝返りをうち仁の胸へとその顔を埋めた。
 
「今だけは」
 
「ん?」
 
「俺の場所だ」
 
「今だけな」
 
「ああ・・・」
 
仁の腕がその頭を優しく包んだ。
 
 
 
 
 
電話が鳴り響いた。マーケットで仕入れた珍しい雑貨を並べて楽しんでいたリョーニャはキッチンで夕飯を作るウィンを呼んだが丁度中華鍋を振っている所だった。
 
「出てもいい?」
 
「名前と要件を聞いて下さい」 
 
火を止めて手を拭きながら戻ったウィンに、リョーニャは受話器を渡した。
 
「なんか南の方の喋り方で良く分んないけど。未来の妻を出せとか何とか。間違い電話か?」
 
「ああもう、次から次へと。頭痛の種が!はい、もしもし。ただいま大事な来客中ですのでお取次ぎできません。さようなら」
 
『俺より大事な客などいない』
 
「王子様はまだまだ世間知らずでいらっしゃいますね。いるんですよ、そのような方は世界に五万と」
 
『いいから早く清劉を出せ』
 
「人の話を聞いて下さい。無理です・・・って、あっ、こらっ、銀鼠!」
 
「電話には出られないって言ってるだろう。こっちは苦労してようやく会いに来たんだ。王子だか何だか知らないが邪魔するな」
 
『・・・おまえは何者だ。侍従にしては態度がでかいな』
 
「おまえこそ誰だ。俺はリョーニャだ」
 
『リョーニャ?知らないな。北の者か。俺はトルーファサラドウールサムニーイヴン・・・・・』
 
「長いよ!今度紙に書いて。で、何の用?俺が聞いてやるぞ」
 
『清劉のところには変わった奴が多く集まるのだな。では用事が済むまでおまえが俺の相手をしろ。今会議と会議の待ち時間で暇なのだ。面白い話は無いか』
 
「あるぞ。この間帽子屋さんから聞いた話なんだけどな」 
 
「国際電話の長電話は金額が・・・なんて気にする小市民じゃ無かったですね。まあいいか。お子様同士、盛り上がってて下さい。私は夕飯の支度を続けてきますから・・・」
 
  
 
「俺はまだおまえの一番で居られているのだろうか」
 
「微妙だな」
 
「やはり銀色が一番か・・・」
 
「銀色じゃなくてレオニード。ま、コードネームでもいいけどな。馬鹿犬もそう呼んでるし。コードネーム『屋根裏の銀鼠』だ」
 
「そんな場所のそんな生き物の名は口にするな!」
 
「おまえ、まだ鼠が嫌いなのか。兄どもに真っ暗な屋根裏に閉じ込められて、俺が見つけるまで半日も鼠に齧られてたんだもんな、あれは酷かった。そりゃあトラウマになるな。レオニードは一番だがおまえは二番なんかじゃない。順列なんかつけられない。番外だ。あ、ちなみにウィンのコードネームは『上海の黒竜』だけど馬鹿犬の方が合ってると思わないか?」
 
「どうでもいいことの間にさらっと重要なことを煙に巻いたな」
 
「じゃあおまえの一番は俺か?」
 
「馬鹿犬だ」 
 
「ははは。正直者め」 
 
笑って仁は強く清劉を抱き締め、髪に顔を埋めて呟いた。
 
「俺が一番幸せになって欲しいのは生涯変わらずただ一人。ルウだ。そして例え不幸にすることになっても、一緒にいたいのがリョーニャだ」
 
清劉も負けずとしっかりとその背を抱いた。
 
「俺は幸せだ」
 
「そうで無くっちゃ困る」
 
「おまえの銀色も幸せだ。おまえと居て不幸になんかなる訳が無い」
 
「そうであって欲しいね。でもこれだけは言える。俺は幸せだよ。おまえがこの命とそして幸せをくれたんだ」
 
「俺はおまえの欲しいものを与えられたのか?」
 
「ああ」
 
「良かった」
 
「ん・・・」
 
 
 
「じゃあな。またネタが入ったら知らせるよ」
 
ウィンがすっかり準備を整えてリビングに戻ったと同時にリョーニャはトルーファからの電話を切った。
 
「今まで話してたんですか」
 
「うん。友達になった」
 
「おお、それはいい。これからはあの我儘王子のお相手は全面的にお任せします。やはり年の近い者同士が気が合うんですよね。その方がいい。良かったですね、何でも買ってもらえますよ、何だったら未来の王妃にだってなれ・・・」
 
「黒竜」
 
「はい?」
 
「すごい悪い顔だぞ。大人げ無い」
 
「・・・」
 
全くどんどん仁に似て来るな。まあいい。とにかく一人でも清劉に近づく者は排除して・・・
 
「そう言えばまだ話は終わらないのですか?いい加減もう出て来ても」
 
「そうだね。ごはんできたんだろ?ちょっと様子を見て来るよ」
 
「私も行きます」
 
あまりにも静かなので忍び足で近づいてドアに耳を付けてみたものの、声は聞こえなかった。
 
「何も聞こえませんね」
 
「鍵穴から覗いてみようか」
 
「覗く!覗くって、そんなっ」
 
「あんた、あの二人にどうにかなって欲しいの欲しくないの」
 
「欲しい訳が無いでしょうっ」
 
「だったら別に変な想像しなくたって・・・んんん?」
 
「どうしました?」
 
「なんか抱き合ってる」
 
「っ!なっなっなっ」
 
「しっ静かにして。多分寝てるんだよ。大丈夫、仁はずっとずっとあれがしたかったんだ。ただああやって眠りたかったんだ。俺、分かる。同じだったから。無理矢理体を繋いでも心はもらえない。仁はそれを後悔してた」 
 
「・・・それは・・・ううっ。でも別に抱き合って寝なくても・・・」
 
「じゃ、今日は俺たちが一緒に寝よう」
 
「そ、そんなやったからやり返すみたいな真似は・・・」
 
「あはは。やだなあ、俺、仁以外襲う気は無いよ。あんたって見た目は穏やかなのにエッチなことしか考えて無いね。むっつりスケベ!」
 
「またそんな雑言を!・・・放っといて下さいっ」
 
「しっ、うるさいよ、黒竜」
 
「・・・」
 
「仁の顔が少し見える。ほんっと幸せそう。俺も嬉しい。あー俺ほんと仁が好きだ」
 
「申し訳無いですが私は大嫌いです。こんなに思われているのに、公然と浮気とは・・・本当にあの男だけは一生分かり合えそうに無いです」
 
「仁を責めないで。無理矢理連れて来たのは俺だから。今だけお願い、見逃してやって」
 
「君って子は・・・本当にいい子ですね、銀鼠・・・」
 
「あんたもいい人だよ。黒竜。だから仁はあんなに大切な人をあんたに任せたんでしょ?」
 
「・・・はい。では二人はそっとしておいて、我々は食事にしましょう」
 
「そうだ黒竜、明日こっちの料理教えて。小龍包ってできるかな」
 
「それは高難度ですね。とりあえず早起きして市場に行きましょうか・・・」
 
 
 
小さな子供に戻って寄り添う夢を覚まさないように、足音を忍ばせて二人はその幸せな空間を後にした。 
 
 
 
 
end
 
 

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(2012/02)
 

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