One Thousand and One Nights


「ダブルブッキング・・・ですか」
「誠に申し訳ございません。至急別のお部屋をご用意致しておりますのでお待ち下さい」


長旅で疲れるだろうからとこの地域では一番高級で落ち着いたホテルを予約していた。しかし人手が足りないのか、エントランスでもフロントでも何かと待たされた挙句にこの有様だ。後方で手続きを待っている清劉の機嫌を心配してウィンはちらりと振り返った。
その気配を感じたのか目を閉じていた清劉が怪訝そうに顔を上げ視線を向けて来た。どこをどう見ても怒りに満ちた不機嫌顔であるというのに、周りからは感嘆のどよめきが起きた。何でもありのこの国なら目立つことも無いだろうと今日は久々にチャイナ服を着て来たのも誤算だった。やはりそれは一番自然に美しくその姿を映わせ、そこにいる誰もが目を留めてしまうのだ。割とステイタスの高い人たちが出入りする区域であることを差し引いても、気持ちに素直な人種が多い分その視線は容赦無い。

混んでいるだろうとの予想は出来ていたのだ。なぜなら明日から大規模な博覧会が開催されるからであり、実際自分たちがわざわざこの時期にここに居るのもそれに関わっているからだ。

「お客様申し訳ございませんでした、今一度カードのご提示をよろしいでしょうか」

思わず漏らしてしまった溜息を聞いたのか更に腰を低くするホテルマンにウィンは慌てて明るい返事を返した。物事がうまく運ばないのは困るが少なくとも彼に個人的な怒りを向ける必要は無い。身分証代わりのクレジットカードを提示すると、ようやくキーを手に入れることができた。

「文明大国の割には何をするにものんびりなのだな」
「すみません。今日は特別ですよ。ええといわゆるダブルブッキングで頼んでいた部屋が埋まってしまっていて、用意してもらえるのがエグゼクティブフロアのみということでして、チェックも一層厳しくなってしまったようですね」
「ダブルブッキング?ならばさっさと他のホテルにすれば良かっただろう」
「博覧会の開催期間はどこも一杯ですから。まあいいじゃないですか。エグゼクティブフロアですよ?かつてのあなたなら当然のように使っていたのでしょうが、今の庶民の暮らしでは到底無理な贅沢なんですよ?それを割増無しでいいということですから」
「しみったれたことを言うな。金は使うためにあるのだ。貯めてばかりでは経済が回らない」
「またそんなへ理屈を・・・。とにかく部屋に行きましょう。29階です。このカードで専用のエレベーターに乗るそうです。カードを入れないとベルが鳴るそうですからこれなら清劉が逃げ出す心配も無くて結構」
「見くびるなよ?29階位階段で昇降してやる」
「あなたがそんな面倒なことをする筈が無いですから」

普通のエレベーターより一歩奥のエグゼクティブフロア専用エレベーターに乗り込みカードを入れると、ドアが閉まる間際にもう一人滑り込むように乗り込んで来た。

「excuse me !」
「sure」

若者だった。エレベーターを間違えたのかと思ったが同じように金のカードを通したのでVIP客の御曹司だろうかとウィンは思ったが清劉は全くそんなことはどうでもいいと言わんばかりにガラス張りになっている外の景色を見ている。

そのように全く知らんぷりをしながらも清劉は、このような密空間で見知らぬ他人と同席すると、それが例えとても害を成すようには見えない一般人だとしても本能的に近寄ったら殺すぞと言わんばかりの殺気を放つ。それは百歩譲っていいとしても、それが諸刃であることに気づいていないのがウィンにとっては頭の痛い問題なのだった。諸刃。つまり殺気と同時に恐ろしい程の魔性の気を放ち必要以上に人の興味心を煽ってしまうのだ。

「観光ですか?素敵なチャイナ服ですね。中国の方ですか?」

最上階のボタンを押したということはかなりのVIPなのだろうが、首からカメラを提げあまり落ち着いたセレブにも見えないその客は心配した通り清劉に興味を持ってしまったようだ。

またかと思いつつもウィンはにこやかに、当然のように無視を決め込んでいる清劉に代わって返事をした。

「そうです。この辺にお詳しいのでしたらぜひお勧めの場所を教えていただきたい」
「いえ、私も外国人です。ここは母の祖国ですが実は初めて来たんです」

そう言うとVIP客はまた、無自覚の攻撃をしまくっている癖にまるで我関せずの清劉を遠慮なく眺めた。視線に気付いたのか清劉がほんの少しだけ顔を傾けたが、幸いにもそこでエレベーターは29階への到着を告げた。
友好的に声を掛けてきた来た旅行者に罪は無い。これでもう会うことも無いだろうと会釈をして立ち去ろうとした瞬間。
あまりにも無害なオーラを出していたので油断した。若者は清劉の頬に唇を寄せたのだ。

「これがこの国の挨拶と聞いていましたので。また会えるといいですね。良い旅を!」

あっけにとられる目の前であろうことか追い打ちを掛けるようにフラッシュが焚かれ、そしてエレベーターの扉が閉まった。

「不意を・・・つかれましたね。しかしされるがままなどあなたらしくない」
「全くだな。ははは。いいじゃないか、あれはまだ子供だ」
「笑い事じゃないでしょう。いつから子供好きになったのですか。子供だから善人だなどという決まりは無いですよ。簡単に許さないで下さい」
「そう怒るな。微塵も殺気が無いから油断したのだ。ほら部屋に着いたぞ。早く鍵を開けてくれ」
「怪しかろうが怪しく無かろうが本当に気をつけて下さいよ。しかし不愉快ですね。今日は良くないことばかりだ。ここはやめましょう。何とかして別のホテルを探します」
「おい、さっきまでと随分言っていることが変わったな。いいじゃないかほら、スィートだ」
「あなたこそなんですか。なぜ機嫌が直ってるのですか。すぐにフロントに話をつけてきます」
「ふうん。でも折角だからベッドくらい使わないか?」
「・・・そうしてしまうとキャンセルしづらくなるのですが・・・」

最近の屋内での清劉はどうも緊張感が無いと言うか何も気にしないと言うか、黙っていると服を着ないし着たとしてもシャツやガウンを引っかけただけという格好がデフォルトになってしまっていて、実はこのような艶やかな装いをウィンは久々に見た気がしていた。
こうして見ると確かにこの人は全くこの部屋の豪華さに引けを取らないエグゼクティブなのだと改めて思い知る。
そんな美しく高貴な人に誘いを掛けられ断る術は無い。ウィンはホテルの移動を諦め、清劉を抱き上げてベッドへと向かった。

キングサイズのベッドが二つの贅沢な部屋。そのうちの一つに身を沈め、ゆっくりと蒼色のチャイナ服を剥ぎその奥の滑肌の感触を味わい尽くし、辛抱の限界と自分も首元を緩めたあたりで隣室から電話の音が聞こえた。

「ウィン、電話だぞ」
「後でいいです」
「取りあえず出たらどうだ。気が散る」
「この状態で・・・全く今日はどうなっているのだ」

根っからのお人良しにしては珍しく多少の不機嫌を含んだ声で電話を取ったウィンだが、相手の名を聞いた途端にその不機嫌は多少どころの騒ぎでは無くなっていた。

「やあ親友!俺だよ」
「・・・電話で良かったですね。私は今最高に機嫌が悪い。目の前にいたら無言で撃ったでしょうね。なぜここが分かったのですか!」
「別件を探ってたらおまえのカードIDがセキュリティに引っかかって来たんだよ」
「今度は泥棒稼業ですか。本当に一度警察に突き出した方が良さそうですね」
「おまえのはした金なんか狙うもんか。そんなのはどうでも良くて本題はこっち。良く聞けよ?博覧会の目玉のエーゲの秘宝のセキュリティの仕事、おまえがやったんだろ?あれバグってる。もし情報が出回ればそれこそ世界中の本物の盗人が集結するぞ」
「まさか!そんな・・・」
「黙ってて大笑いしてやっても良かったが、おまえがしくじってルウが困窮したら困るんだよ。だから教えてやったんだ。在り難く思え」
「・・・一々本当に嫌な男だ」
「旅先じゃ何かと不便だろ?という訳で交渉だ。情報操作と仕事場の提供、有能なSEの出張料。大まけにまけて十万ドルで」
「くっ・・・分かりました。背に腹は代えられません」
「じゃあ俺のこっちの隠れ家の住所を教えるからメモしとけ」


「ああ何てことだ。本当に今日は厄日だ!」

電話を切り項垂れながらウィンがベッドルームに戻ると、普段はあんなにうるさく言っても着ない服をしっかりと着込んでしまった清劉が窓辺のチェアに座り下界を見下ろしているところだった。
どうしてそんなあっさりと。別にその気は無いのに誘ったんですかと責めたい気持ちはあるが仕方が無い。続きをしようにも時間が無いのだから。

「清劉・・・あの・・・ちょっと緊急の仕事で直ぐに出なければならないのですが・・・」
「構わない。ここで適当に過ごしてる」

勘のいい清劉は電話の内容を粗方理解しているのだろう。仁については特に聞かれないのでウィンも口には出さなかった。

「エレベーターキーは持って行きますから。外には出ないで下さいね」
「キーは要らないがしかしウィン。俺は一応これでも全うな成人男性だ。なぜそんな訳の分からん命令に従わなければならない?」
「危険ですから」
「誰が?何が?じゃあ大金を払って役立たずのボディガードでも雇って行けばいいのか?」
「ああもう分かりましたよ!階段でも何でも使って好きにしていていいですからとにかく無茶だけはしないで下さいね!」
「なぜそんなに怒っているのだおまえは。途中で止められて怒りたいのは俺の方だと思うが?」
「・・・そうですね。すみません。できるだけ早く帰りますから」

そうは言いながら特に怒っている様子も無く優雅に微笑むチャイナ服の麗人の怪しさに一抹の不安を感じながらも、ウィンは指定された場所へと急ぐしか無かった。


高級ホテルの最上級の部屋に宿泊できるなどそれだけでもかなりの財力とステイタスが必要となるのだが、このホテルのペントハウスを含めた最上階を貸し切っているのはとてもそんなVIPには見えない年若い少年だった。

「トルーファ様!護衛も付けずにどちらに行ってらしたのですか!」
「ああすまない、ちょっと散歩。外には出てないぞ、ホテル内をうろついてただけだって。新しいカメラを試したかったんだよ」
「一般の方のフロアはいけません。ご自分の立場を分かってらっしゃいますか。勝手をされるのでしたら強制帰国ですよ。ああどうか御父上の二の舞にはなりませんように。爺の寿命をこれ以上縮めないでいただきたい・・・」
「はいはい分かってる。ああ、自由の国に来たというのに全く不自由なことだなあ。そうだ下にプールがあったんだけどそれなら・・・」
「プールは一般の方と一緒ですからご迷惑になります。お風呂で我慢なさい。ここのお風呂は広いですよ」
「うー」
「エグゼクティブフロア内でしたら目も届きますからどうぞその中だけでご辛抱下さい」
「俺は十分一般人なんだけどなあ」

トルーファはごろりとベッドに横たわり窓の外を見た。他より抜き出たビルの最上階。窓から見える青い空はさっきの青い服の人を思い出させた。

「もう一度・・・会えるといいな」


につづく
 

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(2011/12)




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