Last Mission
 
 
国境の渓谷。風の音にまぎれて遠くから微かに汽笛が聞こえる。
 
『・・・DEEP BLACK・・・目標地点通過までおよそ10分・・・速度150キロ・・・「モナミ」は予定通り11号車と12号車のジョイント部で待機確認・・・指示書通り変更無し』
 
「了解。ゴーグルの調整が難しいので全神経を集中させます。以降の連絡は不要」
 
『祝イ尓好運』
 
 
 
 
 
 
 
古い家の灯りは不安定ながらもぼんやりと周囲を照らした。今回は長く留守にしていたが水道も暖炉もそこそこ使えそうだ。
 
さっき買った新聞を広げた。フランス高速鉄道での車両事故についての小さな記事にはそれが原因不明の爆発による電気系統のトラブルかとだけ書かれているだけだった。死傷者についても、それが大国の大物エージェントであったことについても何も伝えられていない。完璧に揉み消されて情報が操作されたようだ。新聞を無造作にたたみ、大きな荷物を朽ちかけの長椅子にどさりと置いた。
 
ここはかつて母と義父と暮らしていたほんの数部屋しかない小さな家だったがこれまでの自分の人生の中ではかなり「上級」の部類に入る棲家だった。
義父が亡くなり収入が途絶えた時にここは一度手放したのだが、やがて自分が義父のあとを継ぎ仕事をするようになってから買い戻した。
病気の母は施設に入れたし、上海には他に隠れ家を持っているので今はここが特に必要なわけではない。
ただこんな自分でも心がざらざらとして無性に安らぎが欲しくなる時がある。
たとえば今日のように、全神経を集中させて最高の射撃をした後などは。
そんな時はここに戻りまた心が波打たなくなるまで、いつもの自分に戻るまで一人静かに過ごすのだ。
 
目を閉じて少し眠ろうとしたところを冷たい呼び出し音が遮った。
 
「・・・ウェイ?」
 
『ご苦労だったDeepblack。終了だ。完璧な仕事だった。報酬はいつものところに分割して送ってある。確認してくれ」
 
「はい」
 
『今は上海だな?それで続きで悪いがもう一件仕事だ』
 
「続けては無理です。少し休息が必要です」
 
『いや、今回のはおまえにとっては楽なお遊びのような仕事だ。ターゲットは20代男性一人。プロではないし裏もついて無いから小細工は無用でどんな方法でもいいからとにかく殺せばいい。楽勝だ」
 
「対一般人の簡単な仕事なら自分でなくてもいいのではないですか」
 
『問題はそこだ。確かに一般人ではあるのだが人間ではない」
 
「20代男性と言いませんでしたか」
 
『上海出身なら李家は知ってるだろう。そこの一族の一人だ。これまで全ての刺客が失敗したらしい。業を煮やした依頼人が要人専門のうちに極秘でアクセスしてきた。トップ決めまでもう時間が無いとかで確実に一発で終わりにしたいのだそうだ。だからおまえだ』
 
「その者が人間でないと?」
 
『ターゲットに関しては数々の噂がある。しかし所詮噂だ。感情の無いおまえには関係の無いことだろう。プロフィールは間も無く使いの者が届ける。祝イ尓好運』
 
 
極秘回線は一方的に切れた。
母を養うために仕方なく始めたこの仕事だったがもう十分過ぎる金を得ることができた。自分は感情が乏しく人を殺すことを仕事と割り切ることができるのは精神的に幸いなことではあったが、やはりできることならこんな精神をすり減らすような殺伐とした暮らしからは足を洗いたかった。もう終わりにしたい。
もっと向いている者がいるはずだ。感情が無いどころか喜んで殺人を受ける人間だっていると聞いている。確か北欧の・・・
 
程なく車のエンジン音が聞こえ、郵便受けに封筒が投げ入れられると急旋回で車はまた元来た道を戻って行った。
 
なにが間も無くだ。返事を待つまでも無く有無を言わさずではないか。いくら報酬が高くてもこれでは過労死する。いったいこの世には他人を殺すことに金を積む者がどれだけいるのだ。キリがない。
 
封筒を開いた。写真が出てきた。
 
!?
 
今までこうして仕事を受けターゲットを確認する際にはその容姿の特徴をただ機械的に目に入れ頭に入れるだけだった。感情は持たない。だからことが済めばその情報はさっさと脳内で削除されてしまう。この間の列車内のターゲットの顔ももう覚えていない。
 
しかしこの写真は。
これが人間でない者?恐ろしく強い?刺客を交わす?わざわざ闇の秘密組織に殺しを依頼されるほどの大者?
 
容姿の特徴はあり過ぎるほどだというのに逆にまったく頭に入らない。何度見つめても今までのように脳が機械的にそれを捉えてくれない。それどころか脳以外の、なぜか心臓やみぞおちのあたりがざわめいて苦しささえ覚える。
 
いったいどんな人なのだろう。なぜ殺されなければならないのだろう。冷静になろうとすればするほど頭の中で写真から放たれて焼きついた鋭い眼光が甦る。
ターゲットに関して関心を持つことは危険なのだと義父に教わった。それを自分は頑なに守ってきた。こんなのは初めてだ。
 
そうだな。こんな風に心が乱れるのは、もう自分は限界ということなのかもしれない。
 
さっき投げ出したカバンを開け二重底から銃を取り出した。
本当にこれで最後にさせてもらおう。ああむしろちょうどいい。この「人間でない者」に最後の餞をしてもらうのだ。
 
 
 
 
一週間ほど尾行を続けた。
恐ろしく勘がいいと称されていただけあってかなり離れた所にいたにもかかわらず自分の影を感じ取っているようだったが、それはそれで精神的なプレッシャーをかけることができるので策の内である。
 
しかしこうして四六時中見つめ続けているとやはりこの者が殺される理由が全く分からなくなるのだった。
彼はまるで何にも執着が無い。後継者争いとかお家騒動とか聞いていたが騒いでいるのは彼の周辺だけで彼は争う気も勝とうとする気も持っていない。それどころか生きる気力さえ持っていないかのように見えるのだ。
 
大家の子息のはずの彼は下層の集うざわめいた下町にもふらふらと出入りしていた。幾度か誰かと連れ立って歩いているのも見たがそれはいつも違う相手だった。
一週間も見つめ続けていると余計なことまで見えてしまう。なぜか彼は日に日に衰弱しているようだった。病気でも患っているのか、それとも薬中毒か。顔色が悪く殺す前に死んでしまうのではないかとすら思った。
 
だがそれでもそれは本能的なものなのだろう、そうしたひどい状況の中でも無意識に身を護っていてまったく隙を見せようとしない。一体彼は何者なのか。人間でないとはどういうことなのか。
簡単に済むと思っていたこの仕事だったが案外手こずるのではないかと嫌な予感がしていたのだが。
 
チャンスは唐突にやって来た。寂れた行き詰まりの路地裏になぜか彼は入って行ったのだ。誰かを訪ねようとでもしたのだろうか。廃屋の二階をじっと眺めていた。一瞬の隙ができた。
 
さすがに完全に狙いを定めた瞬間には気の流れを感じたのかこちらを振り向いたが、自分の仕事はもうほぼ完了していた。
 
あっ。
 
人の記憶の流れるスピードは幾何ほどのものなのだろうか。その僅かな瞬間どれほどの思いが遡り甦っただろうか。
 
この一週間何度も見ていたのだ。頭には忘れたくても忘れられないほどにしっかりその顔が入っていたのだ。なのになぜ。自分は気づかなかったのか。
 
あの人だった。ずっと待っていた。いつかまた出会いたいと、辛い人生の心の支えにしていたあの・・・どうして!
 
血しぶきが上がった。必死で駆け寄り崩れ落ちる体を支えた。自分に何か言おうとしていたがその瞳は至極満足気で、ふっと美しく微笑むとはらりと涙を零し、そのまま腕の中で力を失ってしまった。
 
必死だった。自分がいまだかつてこんなに取り乱し必死になにかをしたことがあっただろうか。
 
服を引き裂いて止血をした。急所は外したはずだし弾は貫通しているがこのままでは失血死してしまう。車を停めていた場所まで背負って走った。
家に連れ帰り見よう見真似の素人仕事ながらもしないよりはましだと消毒し縫合した。なんとか血は止まってくれたがこのままでよいはずがない。どうしたらいいのだろうか。自分は生まれて初めてこんなに困惑していた。感情の波が荒れ狂っている。
撃ってしまった。自分は・・・自分の女神をこの手で撃ってしまった。こんなにこんなに愛していたというのに。
 
どうして気づかなかったか。
あの日見た姿を・・・女神と思ったからには女性だと信じ切っていたのかもしれない。でもそんなのは理由にならない。ああそうだ、顔つきがまるで違うのだ。誰かに殺されようとするほどの恐怖と圧力を抱えた日々は彼に仮面をつけてしまっていたのだ。
 
自分を見て綻んだ、あの最後の表情が本当の顔だった。
 
取り返しのつかないことをしてしまった。許して貰おうとは思わない。自分はこのまま死んでもいい。だからどうかこの方だけは・・・。
今まで信じたことなど一度もない神に祈り続けた。
 
しかし状況は好転する様子は無い。触れた脈が早く、冷えていた肌が逆に熱を持ってきた。薬と氷を。一瞬でも目を離すのは心配だったが急いで台所へと向かい戻ってきたところを抑え込まれた。
 
 
信じられない力で完全に締められ、躊躇なく首にナイフを突きつけられた状態で自分は心からの喜びと安堵を覚え神に感謝していた。ああ、これが幸せというものか。どうかこのまま腕の中で幸せな気持ちのままで息絶えたい・・・
 
 
 
 
 「おまえと契約しよう。俺と来い。死よりも辛い現実に縛り付けてやる」
 
 
 
全ての点が線になり、そして運命に従いひとつになった。命の契約を結んだ。
この方を、清劉を傷つける者、狙う者すべてを殺す。それが自分の最後の仕事。
今までの殺しはすべてこの仕事のための前戯にすぎなかったのだ。
だとしたらなんの後悔も無い。
私のすべてはあなたのもの。
 
 
 
愛して欲しいなど贅沢は言わない。だからどうか・・・
どうかひと時の甘い報酬を、あなたの名を呼ぶ喜びを
 
そしていつかあなたの腕の中で息絶える幸福を、愚かな私にお与えください。
 
 
 
「ん・・・何を考えている?集中しないのなら食いちぎるぞ」
 
「私が考えていることなど、すべてあなたのこと以外にないです」
 
「足りない」
 
「はい」
 
「ああっ」
 
 
どうか・・・
 
 
 
 
 
 
 拍手する



(2013/9)




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