Double Face



この国はもうひとつの祖国であるはず。
なのにこうしてその土を踏んでも湧き上がる慕情は無い。
遺伝子上の父である人は戦犯としてどこかに収容されているらしいが会う気は毛頭無い。

ただ思うのは。
ここは私の命とも言えるあの方が潜在下で焦がれる地であり、あの方の心を乱す罪深き者の居る場所であるという事。


李家の日本に関する情報網は非常に綿密である。
極秘の国家諜報員とのコネクションもあるのだから一般人一人探す等訳無いことだ。
しかも探し人はかつて李家のVIPの側にあったのにも関わらず、李大人の特別の許しを得て恐れ多くもその秘密を持ったままで帰国したという曰くある人物。当然その後の動向には監視がついていたはずなのだ。

そしてその任務が諜報は専門外の自分に下った事。
片時も離れるなと言いつつこんな長く一人だけの仕事をあの方が直でわざわざ自分に命じたと言う事。これまでの幾つもの疑問。涙の訳。

全ての疑問点はあの男の写真を見せられた時に線となった。





思ったとおりの簡単な仕事だった。
監視役の同胞は既に帰化して全く別の仕事についていたが、その理由は監視するべき者が死んだからという至極簡単なものだった。
戦地にでも赴かれていたら厄介だと思っていたが、草間は大戦が終結する大分以前に結核でこの世を去っていた。
ボスの命の元、それまでのファイルを全て見せてもらった。
そして念の為確実に死を確かめるべくその最期の地に向かった。


首都、東京から車で半日。まるで時が止まったように静かな漁村。
ここでサングラスは返って不自然であろうとそれを外すと、行き交う人々が皆驚き顔で足を止めるのだった。

「あんた・・・先生の兄弟かい」

意を決したように一人の老婆が話しかけてきた。
申し訳無いが日本語はあまり理解できない。特に訛りにはほぼ対応はできない。

単語から恐らく言わんとする事は伝わったのでにこりと笑ってうなづいた。
これが一番問題が無い対応のはずだ。
果たして老婆は一しきり涙ながらに何やら話していたが笑顔で去って行った。

老婆が話して回ったのだろう。涙ぐむ者、頭を下げる者。みな一様に親しげな顔を見せるものの訝しむ者はいなかった。

そこで最期を過ごし病死したと記された家に向かった。
波を避けた少し高台の見晴らしのよい立派な家だが既に住む者は無く廃墟になっていた。しかし主は無くとも見事に垂れる青い花。

この香を・・・知っている。

幾度かこの香の中であの方を抱いた。

獣のように乱れ果てた絶頂で・・・別の名を聞いた。



太く育ったその逞しい幹を引き千切った。

かつては綺麗に手入れされていたであろう庭は密林のように好き勝手に花が乱れ咲いている。その先に墓があった。

心清き者だったのだろう。この地の人々の態度。そして手入れされた墓。
何人たりとも近づけないあの方の心を掴んで離さない事実。

さっき千切った花房を墓石に叩き付けた。
死人に・・・どうやって挑めというのだ。



「あの・・・」

振り返るとこの辺の者とは違う明らかに垢抜けた都会風の着物を着た女性が花を抱えて立っていた。
こんな気配にも気づかないとは・・・あの方の事になるとどうしてこんなに冷静でいられなくなるのだ。これでは側に居る事すら許されなくなる。一気に頭が冷えた。

「ああ、あなたでしたか。おばあさんに先生そっくりな親戚の方が見えてるって聞いて・・・。おばあさんもうだいぶ呆けてしまっているので幻でも見たかと」

優しげな笑顔。ファイルに記された最期を看取ったという側使えの女か。

「身寄りはいらっしゃらないと思ってたんです。ここにお墓を作ったこと、お知らせしないで申し訳無かったです」

何を言っているのか分からないが、真摯な気持ちは伝わってくる。やはり・・・人徳ある者は人を呼ぶのか・・・・。

「本当によく似てらっしゃいますこと・・・・。まるで・・・まるで先生が・・・ああ、すみません」

女性は涙を手早く袂で拭うと、てきぱきと墓の掃除を始めた。
ここで見ていても仕方が無い。用事は済んだ。邪魔にならぬようにと帰ろうとした背中に女性の声が聞こえた。

「すみません、これ、良かったらお持ち下さい。もう遺品も全て片付けてしまって何も無いのですが、これ・・・」

手渡された色褪せた写真。草間野分と・・・・そして・・・・・





この心と裏腹、穏やかに晴れた航路は順調に大陸を目指す。
風爽やかな甲板で、胸から写真を取り出した。

清劉様よりも年上であろう、一目で病人と分かるやつれた青年。
それでもきちんとした服装で、美しく凛とした目でこちらを見据えている。
その後ろで全てを包み込むように寄り添う草間。

写真からですら分かるこの信頼を。愛情を。そしてこの青年の風貌を。
どう理解したらよいのであろう。


・・・・・・・
とにかく。
もう終わったのだ。どうしようもない。
見えない者相手に戦うことは・・・無意味だ。
しかしそれをあの方に言うことなどできない。
あの方も私と同じ苦しみを抱えている。

きっともう一人の自分と戦うことの無意味さなんてとうに気づいている・・・・。

自分ができることはこの写真の草間のように。
悔しいが・・・草間のように・・・・
生涯掛けて全身全霊の愛情を捧げることだけなのだ・・・・



手を離した。

セピア色の二人は、5月の爽やかな海風に舞い上がり

見えなくなった・・・・・・・・・




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