Yellow Moon
 
 
「失礼いたします、御主人様。間も無くパーティのお時間で御座います」
「何だ、もうそんな時間か。ようやく東洋人の坊やが懐いてきたところだというのに名残惜しいねえ」
「今日は何が何でも出席するから呼びに来る様にとおっしゃったのは御主人様で御座いますよ。お遊びは程ほどに。どうぞお早くご準備を」
「そうそう。前菜はこれくらいにしないと。今晩のメインディッシュはあの飛び切り豪華な高級食材だからな。そっちの手筈はできてるのかな?」
「はい。御主人様の御指示通りに」
「東洋人にもあんな綺麗な人間がいたとはねえ。ぜひ加えたいねえ、我がコレクションに。じゃあ君。この坊やをお風呂にご案内してやってくれ」
 
 
 

「ウィン、ちょっと」
「どうしました、秀徳・・・これは」
「ダウンタウンに潜ませてる若いのが持って来たらしい」
 
李一族の長。そして恋人でもある李清劉の顔写真。現在の居場所を知らせるだけで金一封が出るなどと書かれた胡散臭いビラ。
 
「これじゃまるで犯罪者のようじゃないですか。悪質な悪戯ですね」
「こういったのは李大人の頃からあったんだけどね。大概はライバルの嫌がらせか金目当てのチンピラの自演の仕業だからその辺はこっちで適当にあしらっておけば良かったのだけど。ちょっと最近コンウェルグループが不穏な動きをしててね。そっち関係だとちょっとやっかいだと思ってね」
「欧州のコンウェルグループですか。今日の上海銀行頭取の誕生パーティにはコンウェル候も確かいらっしゃるのですよね。それは清劉様はご存知なのですか?」
「ああ。なので最初は断るように言われたのだけど、頭取からぜひにと懇願されて、仕事上の事もあるし渋々・・・なのでほらここ数日機嫌が悪かったろう」
「まあ・・・確かに」
「さすがにコンウェルグループが絡んでるとなれば清劉様にもお知らせしないととは思うけどまだ何とも確定じゃ無いし。それにあまりこういったふざけたものはあの方にお見せしたくは無いしね。とりあえずこっちは早急に調べさせて対処するから、SPの方も今日は特に慎重に頼むよ」
「分かりました」
 
 
「清劉様。御準備はよろしいですか」
「ああ。できてる」
 
不機嫌な声を確認してからドアを開けると、夕刻の金色の陽に照射されながら窓辺に立つ純白の神々しいその姿に一瞬そこが雲上の天帝の間であるかのような錯覚を起こしてしまう。
最近は洋装をすることが増えているものの、このような半私的な招待には基本的にチャイナ服である。カンフーパンツを履いているとはいえそのスリットはあまりにも挑発的だ。その方がいざという時動きやすいというのが彼の当然の言い分なのであるのだが・・・。
高級な白絹のチャイナ服、白銀の刺繍すらも霞む程の肌の白さ。
年齢も性別すらもあやふやにするその妖艶なオーラに目を射られる。
本当はこういった格好で人前に出て欲しくは無い。
傍から見ても異常である程の関心を清劉に示している頭取。そしてその正体はよくわからぬものの恐らくかなり油断ならない存在であろうコンウェル候。
そんな魔巣窟のような場所にこんな挑発的な格好で出向くような危険な事は止めて欲しい。
勿論自分がそんな浮かれた事を口に等出せる立場でない事をウィンは百も承知している。
魔の手に犯されぬようにせめて全力でお守りするだけ。それが自分の使命。
 
「よく・・・お似合いです」
「おまえがそんな世辞を言うようになるとはな」
「いえそんな」
「俺が分からないとでも?」
 
どこまで・・・この方は分かっていらっしゃるのだろうか。
この胸の内を全て理解して下さっているのだろうか。
 
いつもより多く用意された警護の者に囲まれながらリムジンに乗り込んだ。どかりと深く腰を落とすと、清劉は不機嫌顔で足を組んだ。
スリットが捲りあがり唯一露出された足首だけですら殺人的な色香を放つ。冷静さを保持しようと必死になるSP達の心など関する気も無く気だるげな視線を宙に泳がす。
天地全てを達観しているようでいて、そのくせ不用意に子供のような行動をなさるから気が抜けないのだ。
 
「壁の数が増えたな。頭数揃えればいいってもんじゃないぞ、うっとおしい」
「清劉様。あなた様はもう少しご自分の立場をご理解下さい。今や国家要人ともお付合いがあるお立場なのですから、どうか慎重に・・・」
「自分の身は自分で守る。それが出来ない位ならとっとと死ぬまでだ」
「そんなことばかり言っているからこうして警護が増えるのです」
「おまえが十人分働け。おまえ一人でいい」
 
清劉は更に膝を高く足を組み替えウィンの肩先にもたれかかった。
 
「清劉様。そんな卑ない格好をなさるのなら次からはスーツを着ていただきます」
「はあ?卑ないとはなんだ。本当におまえは最近生意気になったな。あんな動きにくい西洋の布切れは嫌いだと言っているだろう」
 
車は下町の繁華街に差し掛かった。週末の夕刻のドヤ街はだいぶ賑わっているようだ。更に不機嫌になり黙りこくっていた清劉がふいに口を開いた。

「やはり・・・今日は止める」
 
助手席でいつものように険しい顔で手帳を捲っていた秀徳が慌てて振り返った。
 
「何をおっしゃいますか。頭取は清劉様に会えるのを楽しみにしておいででしたよ」
「後でまた個人的に時間を取る。そう言えばきっとその方が奴は喜ぶ。今日は・・・気が進まない」
 
こう言い出した清劉の説得の難しさは長年の秘書である秀徳は嫌と言う程身に沁みてはいるのだが、今日はその方が良いのではないかという気持ちも確かにあった。
無駄な事とは思いつつ2,3言言ってはみたもののやはりどうにもできないと分かると、即座に車を降り電話を探し各方面への対応を始めた。
さすが、文句を言い捲くりながらもあの清劉様が近くに置き重用しているだけあるとウィンは秀徳に尊敬の眼差しを向ける。
秀徳は天性で頭の回転が良い。実際に見た訳では無いが噂ではそれなりに腕も立つとの事。
自分も精進せねば容易に切られると思い知らされる。
そして更に清劉を見る。いつもの我儘とは少し勝手が違うようだ。何か思い悩む様相で眉間に皺を寄せている。そんな表情さえ思わず抱きしめたくなる程にそそられるが勿論自重する。
頭取はともかく、コンウェル候の事はやはり気になっているのだろう。最近公私共に何かと誘いが来ている。無視出来るほどの小さな人物では無い事は清劉様も秀徳も分かっている。

「下町に出よう。たまには二人で食事でもどうだ」
「その格好で下町ですか」
「あそこはどんな格好だろうが気にする者はいない」
 
どうしようかと一瞬考える。さっきのビラの事が思い出された。しかし下町のチンピラふぜいにどうこうされる事はありえないだろう。今日のパーティに要人が集まることは周知。なら返ってこうして裏を掻いた行動をしておく方が目は眩ませられる。その間に秀徳がある程度の調べはつけておいてくれるだろう。
 
「わかりました。それでは秀徳に話をして来ますのでしばらくこのままでお待ちを」
 
もちろん秀徳には散々叱られたがこの場合どれだけ誰が何を言おうと時間の無駄であることはお互いに十二分に分かっている事でどうしようもない。それよりフォローに回る方がよほど確実であると判断する。
 

「久し振りだ。随分変わった」
「私も久しぶりです。懐かしい匂いですね」
「あの屋台・・・。あれは俺の昔の悪友だ。なんだ、相変わらずここに居るのか。とっくに店でも持ったかと思っていたが」
 
ふいに遠方に目を遣ると、スタスタと人ごみを縫って屋台に向かう清劉を慌てて追った。
気にする者はいない等と言っていたけれどやはりそれは有り得ない。誰もが目を見張り道を開けそして振り返る。闇夜に紅孔雀が現れたかのような目立ちようだ。
あの方は自分がどれ程までに強烈なオーラを放っているかを自覚していらっしゃらない。
 
良くない予感がひしひしと押し寄せる。
やはり・・・ここに来たのはまずかったろうか。
そう後悔し始めたウィンの気持ちなどまるで関せず、清劉は屋台の半朽ちの椅子にふわりと優雅に腰を下ろしていた。

「いらっしゃい・・・って、え、清劉?清劉か」
「随分老けたな、亮俊」
「驚いたな、おい。こんなとこで何やってんだよ。なんだおまえ顔変わんねえなあ、あの頃のままじゃねえかよ、本当に驚いた。俺か?ずっとここになんか居るかよ。おまえがいきなり真面目になって大学になんか行きやがるから結局俺らも何となく解散になってさ。俺はあの後食堂で働いたりもしてたんだけどでも兵隊に取られて、終戦後は仕方無くまた屋台引いて出直しだよ」
「あれから15年か。おまえの味があの頃と変わってないのなら明日からでもうちの専属にしてやる」
「んだと、偉そうに。ってかおまえ偉くなったんだよな。へへ、じゃあ腕振るうから食ってってくれや社長」
 
清劉様が笑っていらっしゃる。珍しい事だ、とウィンも一瞬顔を綻ばせた。
さっきの予感が・・・杞憂であって欲しい。
 
本当に真剣に職を希望しているらしい亮俊は次々と自慢の皿を並べて来た。
 
「この味。私も覚えています。そういえば昔来たことがありました。もしかしたらその頃すれ違っていたかもしれないですね」
「いやそれは無いだろう」
「・・・・」
 
そう、だったら気づいている。似た形相の者がいれば覚えているはず・・・
 
話題を変えようと清劉が酒瓶に手を伸ばした時に、後方で不穏な気を感じた。
ウィンも気づいたようだ。
 
「・・・何人いる?」
「かなりいますね。二十人以上は」
「こんなところで大乱闘する訳にいかない。亮俊達に迷惑は掛けられない。取り合えず走れ。言っておく。おまえはおまえの身を守れ。俺は二人は守れない。酒瓶を置いたらそれが合図だ」
「何を言っているのです。私などどうでもいいのです、私があなたを守ります」
「言われたことだけをしろ!」
「え、なんだ、どうした、清劉!え?ええ?あわわ、なんだなんだ」
「亮俊。支払いは後日でいいか」
「そ・・それはいーけど・・・どうなってんだよあんな大勢。おまえ相変わらずだなあ、おい。ちきしょー昔の血が騒ぎやがるぜ!おい、てめえら、俺らのシマで勝手なことしやがるとぶっ殺すぞ!ここは俺がどうにかすっから早く行け!」
「すまんな。怪我したら治療費もまとめて請求してくれ」
「おう。任せろ。ついでに就職の話も頼んだぜ!」
 
酒瓶を置くや否や二人は風のように走り出した。
久しぶりの路地でも体がちゃんと地図を覚えているようだ。
かなり走った所で清劉は足を止めた。追ってくる者の気配が消えたようだ。
 
「亮俊が塞き止めてくれたようだな。重ねて礼をせねばならん」
「ストリートの出口まで行けばSPが張ってますから急いで戻りましょう。どのルートがいいか・・・っ!!!」
 
ウィンの銃と清劉のナイフが同時に暗闇の一点を狙った。
その先には・・・子供だった。
 
「あのね?そっちには怖い人がいますよ。こっちに来て下さい」
 
小さな男の子がこっちこっちと手招きをしている。
これは・・・信じてよいものか?しかしできれば問題は起こさず穏便に戻りたい。
この先は居住区だ。金でも渡して通らせて貰えるならその方が下手に事が起こることも無く返って助かる。裏から抜けてSPと合流すればいい。
 
「では私が先に。清劉様はどうぞ私の影に隠れて下さい」
 
幾つかの家の横を通り抜けた。確かにこの道は住人しか知らない。
しかし一体この子供は・・・?
薄暗い中、一瞬電灯に照らされて子供の手元が見えた。
あ・・・。
その子の手に握られたビラ。あれは秀徳に見せられたもの・・・・
 
「清劉様、戻り・・っ!!」
 
やられた・・・・。
取り囲むようにわらわらと集まる人々。武器も持たない下町の住人。老人や子供もいる。こんな素人相手に・・・。まずい。
一体何十人いるのだ。狭い路地と両脇の家。四方を完全に包囲されている。
どんどんと輪を狭められた。縄を持っている幾人かを突き飛ばし抵抗したものの、その圧倒的な数には勝てずについには押し倒され後ろ手を縛られてしまった。
これはもう・・・例え素人相手でも、戦うしかないか・・・とウィンが特殊仕掛けの指輪を動かそうとした時だった。
 
下水溝の扉がふいに開き、飛び出した数人に男にそのままそこに引きずり込まれた。一瞬の出来事に抵抗する間も無かった。
無理矢理口に当てられた薬で遠くなる意識の中、清劉の白い服だけを必死で追ったがやがてそれは霞んで闇の奥にと消えて行ってしまったのだった。
 
 
つづく
 
 
 

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