似ているのは、もうそれだけで罪
その姿で目の前に現れた時から、おまえの存在は許されないもの
だから逃がさない
裁くのは俺。おまえは罪人
その罪は一生、赦されることはない
1950年−上海
ギラギラと、嫌味なほどに煌き輝く夜の街。
それを見下ろす高層ビルの一室。
「秀徳。俺の机の上のこの落書きはなんだ?」
藍色のチャイナ服に映える濃茶の髪と白い肌。男装の女性と見紛う程の美しい外見からは想像もつかない冷たい声に、部屋の隅で仕事をしていた実直な秘書はびくりと立ち上がり、汗を拭った。
「恐れながらそちらはボスのお従兄様の偉劉様の新規事業に関する予算・・・」
「おまえは翼劉の下にいたのだよな?しがらみに縛られて馬鹿な一族にいらぬ情けをかけた心優しい兄はどうなった?ん?おまえはどういうつもりでこれを俺に渡した?こんなものを俺にどうしろと?」
涼やかな声音。恐らく盛年の歳であるはずなのにまるで少年の儚さを宿す天使のような笑みに一瞬心揺らぐものの・・・その眼光の刺さるほどの鋭さに、秘書は瞬時に我に返った。
「も・・・申し訳ござ・・・」
「そう怯えるな。悪いのはおまえではない。ただ馬鹿の相手はもっとうまくやれと言っているのだ。今すぐ突き返しに行っておまえはもうそのまま帰れ。そしてウィンをここに」
「ウィンならずっとドアの外におります。では失礼いたします」
もつれ足で逃げるように出て行く秘書と入れ替わりに、音も無く黒い影が近づいて来た。
「さぼっていたのか。いいご身分だな」
「一応ボディーガードなのですがね。しかし清劉様が私に仕事をさせてくださいませんので」
「不服なら秘書の仕事を与えてやろうか。間も無く空きが出ると思うぞ」
「私には事務仕事は無理です。あまり秀徳様をいじめませんように。彼の事務処理能力の素晴らしさは清劉様もご存知のはずでしょう。彼が居なくなれば清劉様の睡眠時間がまた削られることになるのですよ」
「ふん。だったらおまえはおまえの仕事をしろ。おまえの仕事は俺を癒すこと」
「・・・それは仕事ではありません。私の自由意志です」
縋るような、真剣な眼差しが心地良い。
燃え上がりそうな情熱に、包まれるのが気持ちいい。
恥じること無く向けられる若い欲望にそそられる。
「市長とつまらぬ会食の予定だったが。止めた、今日は疲れた」
「お帰りになりますか。では車を回させましょう」
デスクの上の黒電話の受話器にかけられた手を細く長い指が素早く押さえ込んだ。
「・・・帰るとは言っていない」
黒髪を掴み、ほんの数センチの距離に顔を寄せる。
長身のボディガードの漆黒の瞳には世にも美しく凶暴な獣が揺れ映る。
「もちろん。車を用意するのは2時間後です」
部屋の灯を消しても全面窓からは光の洪水が押し寄せる。
その波の中に、二人はゆっくりと身を投じた。
蕩けそうな余韻で、すっかり力が抜けている。
ウィンとの情事の後はいつもこうだ。この馬鹿は加減というものを知らない。甘い外見とは裏腹に、その熱情は容赦無い。
数多の俺の敵ども。狙うなら今だろう。今だったら天下の李清劉も立ち上がることすらできない。
自嘲の笑いが込み上げる。
ただ・・・この状態の自分を。
半裸で乱れ果て愛欲の残骸にまみれた体を宝物のようにしっかりと抱きしめる者。
ウィンがいる限り、例え動けなくても、自分は傷一つつくことは無いだろう。
自分以外に信用できるただ一人の存在。
心地よい疲れが眠気を催す。
だからもう少しだけ。夢の世界へ。
それはあの日の・・・
第二次世界大戦が終わり、混沌としながらも日々華やかさを取り戻す上海の街。
そのカリスマ性で李一族を纏め上げのし上がった父、李嘉劉が病死し、その後を継いだ長兄、李翼劉は戦争のどさくさの中で長の座を狙う叔父の手の者により暗殺された。
幾派もの骨肉の争いで分裂寸前の李家を、一度は見捨てようと思った。
一族全てが共倒れになるならそれも運命。自分は巻き込まれる気は毛頭無かった。
自分を担ごうとする者は多かった。しかしそれはただ手駒にされるだけ、いずれ兄のように葬られることになるのは火を見るより明らかで、あまりにも馬鹿らしかった。
そして愚か者の考えは皆同じ。
李家の守り神、龍神の子、清劉を我が手に。
しかしそれが叶わないのなら。敵の手に落とす位なら
殺してしまえ。
くだらない・・・・・。
どこかに行ってしまいたかった。ただ、そのどこかが・・・日本であることを認めるのが許せなかった。だからいつまでもここにいた。
なぜかその日は・・・あの頃通ったあの場所に行きたくなって。
もはやそこは李家の手を離れ、二階の隠し部屋はよからぬ犯罪に使われている危険な場所であることを知っていたのに。
懐かしい。世の中全てに反抗することでなんとか自分を保っていたあの頃。
そんな自分に普通に向き合った日本人。
あの声で聞く日本の話は・・・嫌じゃなかった。
じっと見つめられると体が熱くなった。
理由なんてどうでもいい。ただ、欲しいと思った・・・・
その愛情の矛先に、取って代わろうと・・・代われると・・・・
手に入らぬものなど、無いと思っていた・・・
路地を入ったところで殺気を感じた。
普段は決して逃さないタイミングが完全に外れたのは。
まっすぐに心臓を狙う暗殺者が・・・
過ぎし日に自分の一生分の気持ちを捧げてしまった男に恐ろしい程似ていたからだった。
死んだと思った。
目を閉じ崩れ落ちる瞬間抱きしめられ名を呼ばれた気がした。愚かな感傷だった。
激痛で目が覚め、反射的に飛び起きあたりを見回すと、そこは見たことも無い殺風景な部屋だった。
生きている。生け捕りにされたか。しかしそれなら好都合。自分はおいそれと捕虜になどならぬ。命さえあれば勝機は我にある。二度と同じ過ちはしない。あのニセモノに、自分を殺さなかったことをその命をもって後悔させてやる。
とりあえず今ここには誰もいないようだ。ならしばらくは気を養える。ギリギリまで生命力を取り戻す・・・・。
ベッドに横たわった。しかしなんだ。捕虜にしてはこの扱いはなんなのだろうか。縛り上げられる訳でもなく、傷の手当てまでされてベッドに寝かされているとは。医学を学んだ自分には分かる。これは知識あるものの手当てだ。縫合も正しく行われている。
サイドテーブルには水もある。部屋の温度も快適だ。一体ここはどこだ。誰の・・・手の内か。でも身内であるなら、この俺をこのように丁重に扱うことがどんなに危険なことか知っているはず。捕虜にするなら半殺しで厳重に束縛されているはずだ。
理解を超える状況だった。頭をフル回転させる。どうしたらいい。
人の気を感じた。
ドアが開いて、するりと音も無く誰かが入ってきた。そしてゆっくりと近づいて来る。一人か。ならいける。もっと近寄れ。
!
瞬時に背後を取り首を締め上げた。
男の手から器が落ち、床に氷が散った。
「さ・・・さすがですね。さすがは上海の昇龍と称される清劉様。しかしお願いです、どうかまだ無理はされませんように。今しばらく、御養生下さい」
「この俺に余計な口を聞くな。一言だけ言え。おまえを寄こしたのは誰だ。兄か、叔父か。それ以外の者か。言え。言えば楽に殺してやる」
「・・・・まだ・・・・私は雇われの身ですので、雇い主の名は申し上げられません。ただ」
「ただ?」
「あなた様が私のマスターになって下さるなら、どんな罰も恐れずに他の契約など全て破棄します。生涯清劉様だけにお仕えいたします」
「命乞いか。愚かな。裏切り者のアサシンなど誰が信じるか。しかもターゲットを一息に殺れない使えない奴などいらぬわ」
「あなたを殺せなかったのは・・・それは・・・あなたが私の・・・あうっ」
腰のナイフを奪い喉元に押し付けた。
「余計なことをしゃべるなと言っている」
ナイフの先から赤い血が流れた。
それでも男は話を止めなかった。
「もう10年以上前になりましょうか。母と共に・・・父と呼んでいた日本人を港へと送った時に・・・。人ごみから少し離れた場所で、あなたは海を見つめていらっしゃった」
「港・・・だと?」
「流れる涙を拭おうともせずにあなたは、ただ悲しみに暮れていた。私は立ち尽くし、その美しさに声も出ませんでした。実際・・・・父との恐らく永久の別れになるであろうことよりも・・・あなたが泣いていたことが気になってどうしようもなかった。忘れられなかった。運命だと思った。戦中は日本人との合いの子である私は大変辛い生活を強いられましたが、それでもあの美しい女神のような方を心に思い、いつかきっとあの方にまた出会いたいと、あの方の涙を拭いたいと、それだけを生きる糧に・・・・・」
「何を・・・言っている」
「もちろん昨日路地で対面するまで、あの時の美しい私の女神がターゲットである李清劉であることなど夢にも思いませんでした。写真は見ましたが、写真のあなたは鋭角でまさに龍神の顔でしたので気づきませんでした。私を見たときに・・・一瞬・ほんの一瞬隙を見せたあなたの顔にあの優しさと美しさが戻ったのです。しかしそれに気づいた時には既に私の指は動いてしまっていて、急所を外すのが精一杯でした」
「・・・黙れ」
さらにナイフが食い込み、血が筋を作った。
「私を殺すのですか。当然ですね。私はあなたを傷つけました。あんなに恋焦がれた女神を・・・愚かなこの手で。でももし・・もし最後の願いを聞いて下さるなら、どうか今一度そのお顔を・・・」
「そんな手に乗ると思うか」
「信じて下さい。神の仏も無い暮らしの中で、あなただけが私の神だった。どんな大金を積まれても、私は神であるあなたを殺せない。この任務を果たせないなら私は最早死ぬしかない。だったらあなたの手で殺されたい。だからその前にどうか、一度だけでもその美しいお顔を」
「・・・・・・・・・」
体躯が似ているからだろうか。声すらも同じ。体の割には高くはっきりした澄んだ声。どうしてこの男は・・・似ているのだ。そして俺を知っていると。あの日、こっそりと野分を見送り、一人泣いていたのを見ていたと。
手を緩めた。男はゆっくりと振り返った。
夜の闇よりも黒い瞳から露のような涙が落ちる。
「ようやく・・・・。ああ、今まで生きてきてよかった」
伸ばされた手を反射的に振り払った。
男は悲しく笑った。
「・・・すみません。もう思い残すことはありません。私を殺して逃げて下さい。外に車が停めてありますからそれで街中にお逃げ下さい。そして一刻も早く傷の手当を。私は医者ではありませんが手伝いをしたことがありますので応急処置はしてあります。でもかなり深い傷ですので熱が出ると思いますので」
「・・・おまえも来い」
「人質になるわけにはいきません。ここで殺して下さい」
「さっき言ったな?俺が雇い主になるなら仕えると。今ここで契約しよう」
「よろしいのですか。裏切り者はまたいつか同じ事をするやも知れません」
「おまえはしない。おまえは裏切らない。目が俺を見ている。おまえは俺だけをみている」
「はい。私は・・・あなただけをずっと見ておりました」
今度は・・・伸ばされた手を振り払えなかった。
なぜ自分は、李清劉ともあろう者が、こんなところでこんな姿で出会ったばかりの素性も知れぬ男に抱きしめられているのか。
なんだろう、この触れる肌から流れ込む感情。熱い。激しい。
・・・・あの時の野分と同じ。
激しく誰かを思っていた、野分と・・・
自分では無い、誰かを・・・
「やはり体が熱くなってきました。どうか横になってください。大丈夫です、ここは安全です。薬湯をお持ちします」
「いやいい。俺の体に薬は効かない。ほとんどの薬に耐性を作ってきた。2,3時間眠ればそれでいい」
「・・・わかりました。安心してお休み下さい。たった今から私の全てがあなた様のもの。この先私が側にある限り、全身全霊あなたをお守りいたします」
「証が欲しい」
「証・・・ですか」
「俺を抱いてみろ」
「そ・・・それは・・・」
「それでおまえの心がわかる。どんなに取り繕っても俺にはわかる。少しでも嘘があれば言われるまでも無く粉々に引き裂いて殺してやる」
「今は・・・そのようなお怪我で・・・熱も・・・」
「ふん。できないのならそれまでだ。女神だなんだとよくも言えたものだ。所詮その程度の感情なのだ。この俺を傷つけたのだからおまえの腕は確かだ。雇うと言った以上は雇い受ける。だが二度と戯言は口にするな」
「・・・・いえ。私は本気です。よろしいのですね、私のような下賤の者に。どうか・・・後悔なさいませんよう」
「後悔だと?誰に言っている」
ゆっくりと重ねられる口びる。服の下に差し込まれる手。熱い。熱のある自分よりもなお熱い。ああ、そういえばまだ名も聞いていない。どうでもいい。
目を閉じた。
あの夜が体に蘇る。ずっと、他の男の名を呼んでいた野分。
野分が抱いているのは俺では無い。
痛い。心が痛い。
愛なんて一欠けらも無い。
辛い。苦しい。それなのに・・・・・
狂うほどの悦楽。
やめられない。プライドなんていらない。
離さないで・・・続けて・・・今だけは・・・俺は・・・
ヒロキでいい・・・・・・
「・・・・清劉様・・・涙が・・・」
「何を言っている?俺が涙など・・・・」
ふわりと力を掛けぬ様に抱きしめられた。
「泣かないで下さい。あなたの泣き顔は美しかった。でももう泣かないで下さい。私が側にいます。あなたのどんな悲しみも苦しみも肩代わりする為に、私は生まれたのです。出会ったのです。ずっと側にいます。どうか・・・今はお休み下さい、このままで」
暖かい。この男は何者なのだ。どうしてこうも心を裸にさせるのだ。
おまえは誰だ。おまえこそ、俺を迎えに来た龍の使いなのではないか。
俺は何をしている。何故、胸に縋り付いて泣いている。
ただただ、体の奥底に流れる血が、遥か悠久からの記憶が。
与えよと。そして与えられよと。
返す波のように囁いてくる・・・・・。
ああ、あれは。あの青龍の鱗のような輝く欠片は。
あれは・・・まだ見ぬ国の花。
同調する。
おまえは誰だ。
俺は誰だ。
咲き乱れる青き花の下で
抱きしめられる。
愛される・・・・・・・・・・・
そのまま、まるで幻惑にでもかかったかのように、出会ったばかりの、しかも自分を殺しに来た男の腕の中で眠った。
ここ数日、暗殺者の影を感じながらの睡眠はほとんど取れていないも同然だった。
いやきっと俺は、ゆっくり眠ったことなどなかった。あの夜からずっと。
幸せな夢を見た、久しぶりの安らぎだった。
何時間経ったのだろうか。目が覚めた時にもこの男は同じ体制で、同じ笑顔で俺を見ていた。しっかりと優しく、卵を抱く母鳥のように、その両手に俺を包み、そして愛しげに名を呼んだのだ。
父親は日本軍の高将であったという。日本に妻子はあったものの、駐屯先のここ上海で商売女との間に子を作り擬似家族で暮らしていたものの、戦前の不穏な空気の中さっさと二人を見捨てて日本に帰ってしまったらしい。
あの日。野分と同じ船で。
「美しいだけで愚かな母は父の言いなりでした。私は日本名しかつけてもらえなかった。母は日本語がうまく発音できなかったのでずっと赤ん坊の呼び名のまま、シャオシャオと呼ばれていました。父に捨てられた母はまた次々と男に頼って生きるしか術は無く、私はその度に新しい父の仕事を手伝わされました。最初の男は針師。最後の男は殺し屋。全て母と自分が生きていくため。私にとっては針磨きも殺しも同等でした・・・・」
男はそう言って悲しげに笑った。
「・・・でかい図体で何が小小だ」
「まあ・・・別に名前など他と識別できればそれでいいだけなので」
「野分・・・・」
「それは?名前ですか?私に名前をつけて下さるのですか」
「あ、いや。何でもない。これはダメだ」
「ダメ?野分・・・とはどういう意味ですか」
「英語はわかるか」
「はい」
「ならウィンディ・・・」
「強風。ですか。強そうですね。では私はあなたに盾突く者を吹き飛ばす神風になりましょう」
「・・・・・・・・・」
似た顔の者に同じ名をつけて側に置くなど・・・女女しいを通り越して狂気だ。
俺は・・・何をしているのだ。何をしようとしているのだ。
俺はなんと・・・弱いのだ・・・・・
「叔父上からの贈り物、しかと受け取りました。ありがとう存じます」
「シャオこの・・・裏切者・・・っ!あんなに前金を払ったのに!」
「恥ずかしながら任務は失敗致しました。この御方は私の腕には負えません。頂いたお金は全てお返ししてもよろしいのですが、恐らくもうあなた様には無用の物になると思われますので、慈善事業に寄付させていただこうと思います」
「腰抜けが!・・・清劉・・・さすが我が兄、嘉劉を色仕掛けで拐かした卑しい日本女の産んだ子。その母親そっくりの魔性の顔で己に放たれた暗殺者までたらし込むとはなんという恐ろしい悪魔だ」
「お褒めに預かり光栄です。俺は自分の顔は大嫌いですが、勝つために使えるものは使います。叔父上だって使ってみればよいのですよ。世の中には悪食という部類もありますからね」
「ふざけるな!この淫売が!誰か!誰かいないのか!」
「叔父上の贈り物は大変腕が立ちますのでね。今この邸内には動けそうなものはいないでしょうね。・・・ええ。仰るとおり一族のためにもおふざけはいい加減終わりにしましょう。さっさと殺して貰えるかと思って待っていたのに、あなたには到底無理のようですからね。さようなら叔父上。いつか地獄でまた」
「そ・・そんな・・・ほ、本気か?ま、待て、清劉。俺と手を組もう。いや悪かった、謝る。すまなかった!違うのだ、だから・・・あっうぐっ・・・」
たった二人でクーデターに勝利した俺にもはや逆らう者はいなかった。翼劉亡き後空席だった長の座に着き、荒みきった李家を一つにする大仕事をウィンと共にこなしながら、俺たちは自然に恋人関係になった。表向きはボディガード。仕事を離れたときは情人。若さゆえなのか、その激しい愛情表現には時折戸惑うこともあったが、不思議なことにウィンに抱かれるときだけは、自分は素直になれた。
この俺が・・・名を呼ばれるだけで・・・
たったそれだけで・・・・
代わりではない充足を感じるために、おまえを代わりにする
「おまえは俺が寝ている間は本当にずっとそのままなのか」
「ええ。場合によっては仮眠状態で休息することもありますが、熟睡はしません。清劉様が起きている間は私などボディガードの役には立ちませんので、せめて眠ってらっしゃる間は命掛けてお守りさせていただくのです。それに・・・」
「それに?」
「それに私の腕の中で眠っている清劉様だけが・・・・私だけの・・・・私だけのものになっていると・・・いや、申し訳ございません、身の程知らずなことを」
「・・・・・・」
似ている・・・と思ったのは最初だけだった。確かに顔は似ている。しかし中身まですっかり同じ人間などいない。ウィンは野分ではない。
愛されるsexは心まで満足するものであったけれど、あの夜の。藤の香りと幻影とに魔やかされた、己を否定されながらの死ぬほど切ない切り裂かれるような痛みの中の快感は・・・この体に烙印のように焼き付けられて生涯消えることは無いのだ・・・
全てを与え曝け出しながらも、俺が他の男を考えていることをウィンは知っている。名を呼ばれて震える俺が・・・何を思い出しているのかを知っている。
そしてもうどうすることもできないことも、知っている。
日本の、草間野分という医者の足取りを調べよとのプライベートな密命を敢えて請け負わせた。写真を見せた時にそのポーカーフェイスが崩れた。何か言おうとした唇を切れるほどに噛み締めていた。仕事中にウィンが感情を見せたのは後にも先にもその時だけだった。
そして数日後。野分が既にこの世にはいないことを報告しに来たウィンの背後からは青い炎が立ち上るかのようだった。
死んだのなら、勝ち取ることもできませんね。
そう一言だけ・・・・そして二度と野分の話はしなかった。
いや、おまえは間違っている。
この清劉に。李一族のトップ、龍神と呼ばれる俺に、おまえは言わせようというのか?
おまえは既に・・・・勝っていると。
なぜなら俺はどんなにおまえの為であっても、もうおまえを離すことができない。
おまえに俺以外に思う者などいればそいつを殺す。おまえも殺す。
逃げようとするなら足を切る。
這って行くなら腕も切る。
俺を見ないのなら目を潰す。
俺以外の名を呼べば、即座にその首を切る。
そしておまえが死んだのなら
俺も生きては行けない
俺も死ぬ
唯一無二になりたいと・・・ずっと願ってきた・・・
何も欲しくない。ただそれだけを願う
俺は本当に・・・・弱いのだ・・・・・・
「清劉様」
「ん?」
「そろそろ時間ですが・・・起きて・・・いらっしゃいますよね?どうしましたか。何か心配事でも」
「ふん。不本意にも一族の長になった日から心配事など嫌になるほど次から次へと押し寄せてきて、悩む暇も無いわ、なぜ今更そんな事を言う」
「・・・いえ。少しお顔が・・・悲しげに見えましたもので」
「おまえは何でも見通してしまう。ちょっと・・・考えていた」
「・・・・・・何を・・・・いえ・・・」
ウィンが言い淀む。
死人に勝てないと言いながら、必死にもがき戦っている。
語学能力に長け、最近は通訳として側に付くこともあるのに、唯一つ、日本語だけは頑として口にしようとはしない。
そんなおまえの狂おしいまでの嫉妬心すら全て俺のもの。
そうだ俺はここ上海を、愚かな一族を、そしておまえを愛している。
俺は・・・・自分しか信じない。誰にも選ばせない。俺が選ぶ。
「おまえのことに決まっているだろう」
俺がおまえを選んだ。
「・・・清劉様・・・・ご存知ですか?」
「ふん?」
「私はそんな嘘ですらも、天にも昇る心地で喜び震えてしまうということを。あなたが愛しくて愛しくて、心張り裂けそうになってしまうということを」
「・・・・・馬鹿が」
「はい。清劉様の前でだけ、私はいくらでも馬鹿になりましょう」
自分の弱さを知ることは強くなる近道であると。そんなことは遥か昔に教育係の爺から散々聞かされていたけれど。俺に弱さなど無いと思っていた。誰かを思って泣くことなど、ありえないことだった。
ましてや。
誰かの胸で、他の誰かを思って泣くことなど。
俺は強くなる。誰よりも。
おまえとなら、どこまでも行ける。
「ウィン」
「はい」
「車をキャンセルしろ。もう一度・・早く・・・」
「はい」
「・・・おまえが来てから全てが上手く行く。おまえこそが俺の福龍」
「では私の神に祝福を」
激変する時代の中
光の滝を絡み合い、昇り行く
それはねじれた運命の輪のように
二匹の龍の向かう先は
天の頂上か、はたまた地獄の底か
見極めるのは遥か先のこと・・・・
終
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