From Russia with Black dog
 
 
 
 
人でなしと、そう言われるのはあながち間違いでは無いのかもしれない。
ことチェンに関しては、自分は人でなしなのだ。
愛されていたい。ずっと。誰よりも。
でももし。もしもチェンが他の誰かと幸せになれるなら。
本当の愛を知ってくれたなら。
それは・・・どんなに身が千切れるほどに苦しい幸福だろうかと。
他の男の腕の中で思う自分はやはり人でなしなのだ・・・
 
 
 
<一か月前。ロンドン>

今日は珍しく霧が掛かっていない。だからだろうか。思ったよりも気分は悪くない。昔ながらの建物が残っているが別に何の感傷も起こらない。あの写真を見て、もうどうにもならないと諦めたからかもしれない。殺るかの問いにNOと答えてそれで終わった。
高級な店舗が並ぶストリートを歩いた。宝石店の看板が目に入る。何度か使いで通ったが自分の買い物など勿論したことは無い。
色とりどりの煌めきは故郷の街の色に似ていた。いつかあれをと心の支えにしていた奥のショーケースの真っ赤なルビーは、今は誰の腕で輝いているのだろう。

「お気に召したものはありますでしょうか?良かったらお出しいたします」
「この水色の石は?」
「こちらはウォーターサファイアです。色は薄いですが、正真正銘サファイヤですよ」
「湖の色だな」
「希少なお品です。普通はこちらのような濃い青ですけど実はサファイアにはたくさんの色があるんです。無色のサファイアもあるんですよ」
「それは知らなかった。へえ。無色ね。じゃあ赤いサファイアなんてのもあるのかい」
「それがですね、お客様。それだけは無いんですよ。赤いサファイアって言うのはつまりルビーなんです。サファイアとルビーは元は同じ鉱物でしてね。そこに何が混ざるかで色が変わるんですが赤い物だけはサファイアじゃなくてルビーになるんです」
「面白いね」
「どちらも高級なお石には変わりませんがね。プレゼントですか?元は同じと言っても両極端ですから迷いますね。どちらもお勧めですよ」
「いや、もう迷ってない」
「え?」

他の色に押されながらひっそりと光る湖の色のサファイヤ。その隣に深く赤くその存在を主張しているルビー。
胸のあたりが熱くなった。ずっと心にある思い。
唯一つのルビー。幾千もの可能性を秘めるサファイア。何があっても。どこにいても。愛している。愛している。俺はようやく人を愛せる。
宝石店を後にして、そのまま向かいのアンティーク店へと向かった。
最愛の想い人に、最後の約束を果たすために。
 
 
<二週間前。シベリア北部の街、屋根裏>
 
ーなんだ、エマージェンシー?何かあったかリョーニャ
 
「やあエディ。上海の黒竜から伝言。いい加減俺を仲介するのはやめて欲しいんだけど」
 
ーあの馬鹿犬か?何が竜だ、気に入らん。あんな奴の伝言なんか何かのついででいいんだぞ
 
「ついでだよ。あんたの声聞きたかったから」
 
ーそれは嬉しいね。で、馬鹿犬は何を吠えた
 
「あんたの神様が怒ってるってよ。誕生日にプレゼントだけ送ったって?本人が来なきゃ意味が無いって」
 
ー怒ってる?それを宥めるのが飼い犬の役目だろうに、まったく役立たずだな。あんな馬鹿犬を家族にするなど大きな過ちだ
 
「ああ、はいはい、また始まった。もういい加減諦めろって、往生際が悪いな。ってか神様も忙しいな。犬飼ったり激怒したり。すっげ人間くさ」
 
ー・・・おまえも怒ってるのか?
 
「え?俺?怒ってないよ、でも」
 
ーでも?
 
「一人寝は寒いな」
 
ー・・・毛布でも買え。儲かってるだろう
 
「知らない。計算できないから。あ、そうだ。俺ここ出るかもしれない。ちょっと狭くなってきた」
 
ー確かにあそこは普通の人間が長く住む場所では無いな。で、どこに移るんだ?
 
「まだ決めてない。黒竜も含めて色々誘いも来てるしいっそのこと外国に行こうかな。なんてね、冗談。俺はここから出られな・・・」
 
ーイギリスに来るか?
 
「エディ、イギリスにいるのか?」
 
ー正確にはスコットランドだ。ちょっと確認したいことがあっただけで長居するつもりは無かったんだが思いのほか住みやすい
 
「旅行なんて絶対無理」
 
ー旅行じゃない。亡命だ
 
「何それ。どういうこと?」
 
ーつまり・・・俺と一緒に住もうってこと
 
「神様のこと、そんなにショックだったのか。いいよ、慰めに行ってやる。でも俺、まじでこの町からすら出たこと無いんだけど。どうやって飛行機に乗るのかも知らないし。やっぱ無理」
 
ー・・・そんな簡単に諦めるなよ。俺は今一世一代の告白をしたんだぞ?
 
「ばあか。告白なんかとうの昔に俺からしたっての。今更何恰好つけてんだか」
 
ーリョーニャ。真面目に聞いてくれよ。だから・・・会いたいんだ。おまえに
 
「来てくれんのか?」
 
ー俺がそこに行って連れてくるのは無理なんだ。でもここから出来ることはしてやる。一人がだめならあの新婚ボケで浮かれまくってるだろう上海の馬鹿犬に警護させてやろう
 
「黒竜に?あんたの頼みなんか聞いてくれんのか?」
 
ー無問題。「親友」だって言っただろう?あんなんで申し訳無いが俺の代わりに受け取ってくれ
 
「良かった、俺クマより犬が好きだ」
 
ー清劉に送ったテディベアはシリアル番号付きのプレミアであんな馬鹿犬よりよっぽど価値が・・・いやもういい。じゃあな、リョーニャ。待ってるから
 
 
<一週間前。上海>
 
清劉の機嫌が悪い。誕生日に仁がサプライズで来るという話が、自分の不注意でばれてしまい無しになってしまったからだ。
しかしこれはどう考えても仁の策略だ。初めから来る気など無かったのだ。わざと自分の株を下げる作戦だ。子供じみている。
そんな挑発に乗る自分も大概子供っぽいとは思うのだが、どうも仁のこととなると相変わらず冷静さに欠けてしまう。
清劉だって仁が来ると本気で信じていた訳では無いだろうに、それでもこうして割り切れずに不機嫌になってしまう。
その気持ちを疑う訳では無い。でも清劉が愛というものを自覚する前から二人は愛し合っていたのは事実。
それ程までの深い絆に嫉妬する。正式な家族になっても変わらず彼の心は縛れない。いっそのこと本当に縛って監禁してしまおうか。

「ん?」
 
勝手にソフトが起動し、送信者不明の怪しいメールが開く。
コードネーム、迷宮の白兎。仁だ。何が兎だ。おまえのどこがあんな可愛らしい生き物だ?
どこから探るのかパスを変えても変えても勝手に入り込んでくる。ああもう何から何まで腹立たしい。通報してやろうか。
清劉に手こずる自分を嘲笑う内容かと思ったら何か少し違った。あの北の、屋根裏の銀鼠に関する仕事を依頼したいと、そんなことが書かれている。
・・・しかし仕事の内容が・・・。これは?どうしたものか?
 

「清劉。ちょっと話があるのですがいいですか?」
「ああ?」
 
また酒を飲んでいる。あまり煩く言うとこちらの命が危ういのでここ暫くは放任している。
 
「以前行った屋根裏の銀鼠の・・・」
「鼠!?」
「いや、すみません。そういうコードネームなんですよ。あそこにちょっとまた仕事をしに行くのですが、一緒に・・・行きませんね、はい」
 
仁が関わっていると・・・そう言ってまたぬか喜びさせるのも申し訳無いので黙っておくことにした。本当に会える保証は無い。
 
「俺を放って鼠に会いに行くのか。そんなに銀毛の鼠は魅力的だったか。ん?」
「何ですかその目は。ずっとへそを曲げて指すら絡めさせてもくれない癖に。では一人で行って来ますがあそこは遠いのでしばらく掛かります。食材は冷蔵庫にありますからちゃんと食事もして下さいね。緊急連絡はいつもの番号に。それ以外は出なくていいですから」
 
心配だが仕方無い。ちょっとこの依頼には興味がある。とにかく本当に早く帰ろう。
 

<スコットランド、某田舎町のアパート>

本棚にペンキを塗りながら思わず鼻歌など歌っていた自分に驚いてそして可笑しくなった。
身勝手なものだ。自分はあの男を赦したが、でも自分は誰にも赦されていないのに。
それでもきっとあの白く小さな雪の精なら、この消えない罪を白く包みながら共に購って生きてくれるとそう思ったのだ。
あの無邪気な笑顔を思い出しながら海の色の本棚に字の無い本を並べる。
 
ヨーロッパを回り必死に情報を集め、コンウェルの事故についても様々に手を回し大分真実を把握できたのは、シベリアを離れてからどれ程経った頃だったろうか。
 
クルーザーに乗っていたのは侯爵と執事の二人だけ。二人とも重体であったが英国の誇る最新医療も元にみごと回復し、コンウェルは規模を縮小し組織編成も変えながら再びイギリスでビジネス活動を始めた。執事はクルーザーの管理不行届やその他無免許運転での過失傷害等全ての責任を負う形で逮捕、保釈、解雇、その後行方知れず・・・というのが未だ公式の情報だ。
 
しかし事実はまるで違った。クルーザーには我が最愛の従兄弟である李清劉とその付き人ウィンが同乗していた。船上で事件が起こり、その結果執事は死亡(遺体の銃痕については無かったことにされている)、清劉は行方不明、コンウェル侯は海上で保護されたものの前頭部強打と頸部骨折により脳障害を起こし、半身不随、意識混濁の状態で現在もスイスの隔離施設でその存在をひた隠しにされながら生き長らえていた。
暗殺者を雇い時間を掛けて厳戒態勢の施設内に入り込ませ隠し撮りさせた写真に写っていたのは、その自慢の金髪と顔の皮膚の大半を失いながらも幸せそうに笑う悪魔・・・いや・・・天使だった。せっかくそこまで追い込んだのに、成功報酬並みの金額を払いそこで仕事は打ち切った。あれを殺すことにもう意味は無かった。
 
存在を抹殺されたことすら知らずしかしそれでもそうして生かされているのは何故なのかは分からない。現在コンウェルグループを名乗り仕切っている謎の組織は完全に情報を操作していてこの俺の力とネットワークを駆使しても容易に尻尾を掴めないのだ。しかしそこまでできる奴らは逆に限られてくる。つまり到底個人がどうこうできる相手では無いということだ。
清劉に危害を加えることが無いのであればそいつらが何を考えていようがどうでもいいことだ。
 
清劉は南方に所有する島で難治の病の療養中と伝えられている。
・・・が実際は事故の後どういう訳か日本に渡り、更に裏のルートで極秘で上海に戻って暮らしているのだ。海の真ん中の炎上する船からどのようにして逃げおおせたのか、天にでも駆け上り海を渡ったか、まさに竜神の所業だ。

そもそもどうしてコンウェルと船に乗り何が起こったのかという詳細は不明のままだ。
かつてコンウェルの力の元に軍の極秘事項にアクセスした際に得た僅かながらの情報によればコンウェルの兄を殺害したのは”漆黒の小”と呼ばれた幻のアサシンだったのだが、それがウィンであったらしいのだ。恐らくその辺が関与しているのではないかとは思うのだがいかんせん当事者が全てあのような状態ではこれ以上は全く闇の中だ。第一唯一の貴重な生き証人であるウィンに聞いてみたが要領を得ない答えしか帰って来ないのだ。
ウィンは半殺しにされながらも最後まで全てを見ていた筈なのだが、忘れた訳でも隠している訳でも無く、しかし教えることはできないと言うのだ。
馬鹿にしているのかと思ったがそうでは無く、本当にその時のことを冷静に語るのは困難なのだという。声にも文字にもできないと。これは精神的な病であり、その手の治療を受けてはみたがそう簡単には癒えるものではないのだそうだ。
あの狂気の化け物どもと命がけで対峙しそして互いに体も心を崩壊するまでに傷つけあったのだ。それは想像も絶する地獄が繰り広げられたのかもしれない。
ならその地獄から我が最愛のひとを救い出してくれたウィンには悔しいが感謝の意を示してやるのもやぶさかではないのだ。自分はあの化け物から清劉を救う手だては死しかないと思っていたのだから・・・。
 
生きていてくれたのならそれでいい。
あの日俺に、何があっても、二度と会えなくても。生きていて欲しいと涙を流したルウ。
おまえの気持ちが今は分かる。
まるで一つの心臓を共有しているかのように、同じ思いが流れ込んで来る。
俺の命がおまえを生かす。そしておまえが生きていてくれないと俺も生きてはいけない。
不思議だ。伝わってくる。おまえの悲しみ、喜び、幸せ。
この先もずっと共に在れる幸せ。
 
そうしてようやく息を吐けた俺の横に居たのは、いや、正確には側に居た訳では無いのだが。
俺の心にひっそりと棲みついて居たのは。それはあの北の小さなスパイだった。
忘れようと思っていた。と言うよりも忘れて欲しかった。なのにそう思えば思う程にあの束の間の安らぎを手放す勇気が持てなかった。
役に立ちたいと、愛していると、ぶつけられたあの真っ直ぐな気持ちは、俺の心に沁みて消すことなんか出来なかった。
また会いに行くと、そんな出来ない約束を。初めて持った約束を何より大切にしてくれた純真な少年。放っておいたらそれでもあの屋根裏で一生静かに俺が来るのを待ち続けているのではないかと、逆に心配で忘れることなどできないのだから我ながらなんと夢中にさせられ翻弄されているのやら。

新しい熊柄のシーツを掛けながらふと気づいた。
・・・家が狭くなったと言っていた。あれから何年経っているのだ?
この胸の中にすっぽり納まって寝息を立てていた姿しか想像できなかった。
手を止めて暫し考え込んでいると不意にアラームが鳴った。もう三時だ。そろそろ行かねば。

引き出しから小さな包みを取り出し、湖の見える窓辺に置いた。
小さなポンコツ車を走らせ空港の片隅に車を止めた。
後部座席からカバンを引き寄せる。イヤホンをつけ、ダイヤルを慎重に合わせる。
遠く白い国から旅して来たジェット機が、徐々にこちらに向かって来るのが見えた。
 
につづく
 

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(2011/10)




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