Child's field 1

 

ルウ。どうしたの、裸足で。また泣いてるの?兄さん達が意地悪した?

うん。ぼくの靴を全部隠されてしまったの

こんなに小さいのに、どうして兄さん達はルウをいじめるんだろう

ぼくが本当はこのうちの子じゃないからって

でも伯父さんの子に変わりはないんだよ。そう言うなら正妻の子は翼劉兄だけで他の兄さん達は側室の子なんだから。ルウが可愛くて賢いから嫉妬してるんだ

しっと?チェンは難しい言葉をたくさん知ってる

ぼくがもっと大きければルウを守ってやれるのに。ごめんね、ルウ。もう少し待って。ぼくは絶対世界で一番強くなってルウを守るから

ありがとう、チェン。もう大丈夫。チェンが拭いてくれたから涙が止まったよ

ルウ。ルウは竜神の加護を受けた子だって、伯父さんがいつも言ってる。いつか李家の為にきっと必要とされる日が来るよ。だから簡単に泣いちゃだめだ。強くならなきゃ

うん。ねえ、ぼくが頑張って強くなっても、でもチェンは側にいてくれる?

もちろん。ルウがそれを望むなら、ぼくはずっと側にいるよ・・・

 

 


「チェン・・・」

「清劉様?」
「・・・ん?ああ。夢か。懐かしい夢を見ていた」
「チェン・・・とは?」
「ああ。今日から親族の者が来ると言ってあっただろう。それと子供の頃よく一緒に遊んだ時の夢を見た。李仁。幼名がチェンと言ったのだ」
「そうですか。子供の頃の・・・」


子供の頃の清劉様はあんなに全てを委ねた無垢な口調で誰かの名を呼んでいたのだろうか。李仁。英国帰りの経済経営学博士。この春から北京大学で講師をするはずだったのを直前で清劉様が引き抜いて来たという・・・。


ビルの最上階の応接室に、その人はいた。
背が高い。視線が合う人間を見るのは久しぶりだ。
職業病なのだろうか。ついその体付きを観察してしまう。細身ではあるけれど無駄の無い筋肉がついた戦う者の体。博士・・・という肩書きにはそぐわない。
李仁。何者なのだろうか。

「お久しぶりです。ご機嫌麗しゅう」
「そんな堅苦しい挨拶は止めてくれ。どうした、英国で紳士学でも学んで来たか」
「あなたは我が李一族の長。そして今日からここでお世話になる私のボス。礼を尽くすのは当然と」
「止めてくれ、ムズムズする。全く相変わらずの変わり者だ」
「変わり者とは心外ですな。あなたは少し長としての自覚が足りません。どうも周辺の者に甘すぎるようにお見受けいたしますが」
「ほう。調子が出てきたな。その調子で俺には気取らずに言いたい事を言え。勿論それを聞き入れるかどうかは別の話だがな。これは秘書の秀徳。ずっと翼劉の側に居たから知っているのではないか?仕事の事は彼に聞いてくれ」
「あちらは?」
「ああ、あれは俺のボディガードのウィン・・ディ」
「ボディガード・・・ですか」
「じゃあ俺は出かけるので後は秀徳、頼んだぞ。仁、晩餐の席でまた会おう」

ああ、この視線。ここの来たばかりの頃は誰もがこの驚愕と疑惑に満ちた目で自分を見たものだ。やはり昔を知っている者には奇異に映るのであろう。しかし自分には何の関係も無い不愉快な話だ。


「はいじゃあまずは社内をご案内しましょうかね。・・・仁様?」
「ああ、すみません。いやあのウィンディ・・・でしたっけ?彼は一体?」
「ですからボスがボディガードと仰ってらしたでしょう」
「ふうん。いやちょっと昔見たことがある者に似ていたのでね」
「ああ・・・。赤の他人・・・のようですよ」
「ふうん、似た人間がいるものだ。しかし中国は変わりましたねえ、俺は戦前にイギリスに渡って戦時中はずっと足止めを食らってしまいましたので10年以上もあっちにいましたから戻って来てびっくりです。何ですか、本当に李家はすっかり真面目にこんな固い仕事をしてるんですか?」
「そうですね、翼劉様の頃から少しずつ変わられて」
「翼劉兄の事はご愁傷様だったね。こちらに渡る術が無く葬儀にも出られなかった」
「・・・お心遣い有難うございます」
「まあ君がそのまま留まって清劉の側に居るとは思わなかったけどね。流石ですね、秀徳殿。いやしかし随分忙しそうで、本当に会社みたいですねここは」
「・・・会社ですよ。この国も色々大変なんですよ。北京の方でもゴタゴタが始まってて資本主義の講義なんてやってる場合じゃないらしいじゃないですか。ボスがあなたを呼び寄せたのはそんなご配慮もあるのですよ。本当に足場を固めておかないといつ何時どうなるか分からない時代なんですから。いつまでも李大人の頃のようにはもう・・」
「それは有難い事です。まあ俺は資本主義だろうが社会主義だろうがちゃんとした物が食べられてまともな人間の暮らしができるのならどっちでもいいんですけどね」
「仁様?」
「何でも無いですよ、さあ、行きましょう」


最近特に忙しく一緒に夕飯を取る事も出来なくなっている状況だというのに、今日はちゃんと時間に戻って来られた。こんなどうでもいい事にすらやっかみを感じてしまう自分は本当に浅ましい。ここの所どうも些細な事で嫉妬心が異様に燃え上がってしまう。いつか爆発してしまいそうで恐ろしい。

「久々に気が滅入らない晩餐だな。どうだ、これでは少し地味だろうか?」
「お似合いですよ、何を着ても」

黒地に銀糸の丹念な細工が施されたチャイナ服。貴方が美しいのが悪いのだ。自然の摂理に反し、まるで人外の者のように年を経る程に美しくなって行く。

「おまえに聞いたのが間違いだったな。どうだ?今日はおまえも一緒に。最近中々ゆっくり話をする時間も無いし」
「それは・・・」
「何、仁に遠慮は要らない。李一族の中では珍しくまともな奴だ、確か父の末の妹の子・・・だから俺にとっては義理の従兄弟。同じ年のはずだが昔から早成で大人びた奴だったから小さくて泣き虫だった俺はいつも仁に面倒を見てもらっていた。仁は戦前から英国に留学していた学者肌の秀才だが子供の頃のカンフーの手合わせでは俺は勝てたことが無い」
「清劉様を倒せる人間がいるなど信じられませんね。泣き虫だったというのも」
「おい変なところを突つくな。昔の話だ。本当にあいつは強かったのだ。しかも俺は仁が本気で戦ってるのを見たことは無いから奴の実の強さは計り知れない。如何程のものか興味はあるがまあ、力はどうでもいい。これからはそういう時代では無いのだ。仁のように冷静で頭の切れる者が必要なのだ。だから中国に戻ったと聞いてすぐに連絡して呼び寄せた」
「側近にされるのですか」
「そうだな。しばらくは付き人をさせる。この機会にSPも専門の機関に依頼した。おまえは当面秀徳の下に入れ。事務仕事が嫌ならしばらく休暇を取ってもいい」
「クビにするとおっしゃるのですか?」
「何を聞いている。そんな事は一言も言っていない。ただ、これからしばらく俺は仁に掛り切りになる。側にいても・・・つまらないと思ったのだ。なあに仁は優秀だからすぐに仕事を覚える。そうしたら俺の仕事を肩代わりさせてまた新たな体制を整えるつもりだからそれまでの話だ。できるものなら俺はそのまま引退してしまおうかと目論んでるからお前もフリーでいた方がいいだろう?」
「勿論何処なりともお供する覚悟でおりますが・・・分かりました。ではこの機に少し・・・色々と勉強をしてきます。そろそろお時間ですね。私はやはり今日は遠慮しますのでどうぞ水入らずで積もる話をお楽しみ下さい」

 


先に屋敷へと戻った。ここに当然のように住み着いてしまってどれ位になるのだろう。奥様をお持ちにならない清劉様だけでは広すぎるこのお屋敷。清劉様の父上の時代には庭に舞台もあって毎夜華やかな催しが繰り広げられていたと聞いたが今はその賑わいの片鱗も無い。広いだけで寂びれた敷地の片隅の、かつては主の数ある妻の為の離れの一つに部屋を頂いている。使われない部屋がほとんどだし第一清劉様の自宅での滞在時間は無いに等しいので、使用人も最低限だ。自分の身の回りのことは自分でしなければならないがこれは別に苦では無い。寧ろそうさせて貰う方が気を使わなくて済む。その数少ない使用人の一人が忙しそうに水を抱えて行き来していた。

「お疲れ様です。何かお手伝いしましょうか」
「ああ、ウィンさん、お帰りなさいませ。もう終わりますから大丈夫です」
「珍しいですね、こんな遅くまで大掃除ですか」
「おや、聞いてませんか?今日から急に分家筋の親戚の人が暫く住まわれる事になったんですよ。いやもうずっと埃を被ってた部屋なので思いの他時間が掛りました」

・・・そうだったのか。公私共に時間を共有するのか。
・・・家族であればそれは当然なのだろう。
しかしそれなら自分はどうすれば良いのだろう。ここを出るべきなのだろうか。
いやでもそれではいくら家族とはいえ清劉様と仁様と二人きりで暮らす事になる。それは・・・嫌だ。・・・出て行けと言われてはいないのだから、留まっても良いのだろう。

「ウィンさん、お食事はどうしますか?」
「あ・・ああ結構です。自分でどうにかしますから」
「そうですか。じゃあ私はこれで失礼します」

一人残された部屋で、言いようの無い不安に襲われた。
これから・・・どうなってしまうのだろうか。

こうして空いた時間にこそ睡眠を取っておこうと思うのだが、いざ眠ろうとすると中々眠れない。そう・・・この屋敷に居る時は・・・ほとんど母屋の主人の部屋に呼ばれそこで共に寝ているから自分の部屋のベッドでありながらまるで他所の物のように寝心地が悪いのだ。
これが普通なのに。一人寝がこんなに侘しいものである事を忘れていた等、なんと自分は幸せだったのか。
五感を研ぎ澄まし、彼の人の顔を、体を、香りを、肌触りを思い浮かべる。
熱を持ち張り詰めた自分自身を下穿きから解放し、目を閉じたまま無心に手を動かした。

「清・・・劉・・・」

離れているから余計なのか、こんなにも止まらない欲望は久々だった。


目が覚めるともう真夜中だった。結局夕飯を食べずに寝てしまった。せめて水でも飲もうと厨房に向かうと廊下に見慣れぬ影が揺れた。

「今晩は、ウィンディ君」
「あ・・・あなたでしたか」
「君もここに住んでいるんだって?大したものだね、家族でもないのに。まあここは昔も何だかよく分からん奴等が大勢住んでいたけれどね。さてさてこれも何かの縁。よろしく頼むよ」
「・・・こちらこそ」
「清劉なら一緒じゃないよ。食事の後また出掛けて行った」
「どちらに?」
「ボディガード・・・と清劉は言っていたが、ちゃんと専門のSPが別にいるようじゃないか。だったら別に君に逐一行動を報告する義務は無いんだろう?」
「・・・」
「心外だな、そんな目をされるなんて。俺は君ともっと仲良くしたいのだがね」
「・・・別にそんな」
「君はかつて李家の主治医だった草間を知っているか?」
「・・・存じておりますよ。それが何か」
「だったら分かるだろう?なぜ清劉がどこの者かも知れんおまえを側に置くのか。未だ忘れられぬとは清劉も中々かわいらしい男だったのだな」
「・・・彼と私は関係ありません。清劉様もそのような愚かな考えをお持ちの方ではありません!今のお言葉は清劉様への侮蔑です!」
「ふふ。成程。大した忠誠心だ。まあ君がどう思おうと勝手だ。せいぜい我が一族の為にしっかり働いてくれ給え。失礼したね。それじゃまた明日」

穏やかな口調の裏の激しく冷たい敵意。
李仁。本当に一体何者なのだ。

ウィンは閉じられたドアの前で暫く動くことが出来なかった。

 

つづく
 
(2010/5)
 
 

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