シェエラザード
 
1. 
 
最近は街もずいぶん治安が良くなり、その中でのごくごく普通の一般人としての生活に浸っていたのですっかり油断していた。 
買い忘れたものを急いで購入し店の外で待っていた清劉の元に戻るとがらの悪い3人組に囲まれているところだった。
 
人通りは少ないわけではないが仲裁をするにはあまりにも3人組の様相がその筋のものなのでただ遠巻きに見守られている状態のようだ。いったい何をしたのかされたのか。どうしてただ待っているだけでこんなことになってしまうのか。
 
「危ないっ」
 
との3人組への警告は一瞬遅かった。初めに手を出そうとした一番年若であろう者が足元に倒れた。何が起こったのか周りの者も、何より倒れた本人も分かっていないだろう。転んだにしては体の折れ方がおかしいことを人々が指を差して不思議がっている。普段はまったく怠惰なやる気のない日々を送っているくせになんの気まぐれなのかこんな場所で何食わぬ顔で本気を出している。これでは死人が出てしまう。
 
「止めなさいっ」
 
との清劉への忠告は当然ながら聞き入れてはもらえなかった。一瞬こちらを見て笑ったかと思うと髪をかき上げるように左手を上げた。その手がそっと横の男の顎に触れたように見えた直後に何かに引かれるかのように男の体は後ろに跳ね飛んだ。
観衆からどよめきの声が聞こえた。素人目には仕掛けや芝居のように見えているようだ。
 
人だかりが増えていく。硬貨を投げる者もいて完全に大道芸になってしまっている。喧嘩と思われるよりはいいのだがでもできればこれ以上の騒ぎは避けたい。
 
最後の男はカンフーの心得があるようだった。先の二人とは違って見事に的確な蹴りを出してきたが瞬間に消えた標的のせいで振り回した足は空を切った。そして蹴りの強さが仇となりバランスを崩した所で背後から軸足を払われて無残に尻を打つことになった。観衆は大喜びである。普段はそんなものに乗せられる人では決してないのに。本当に何を考えているのか分からない。
さあ次はなんだと囃し立てる輪から必死で腕を引いて逃げ出した。突然の強制退場にブーイングが起こっているがそんなのはどうでもいい。
 
「ちょっと目を離すと喧嘩ですか。あなたはいくつですか」
 
「喧嘩に見えたのならおまえは眼医者に行った方がいい。善良な一般市民がちんぴらに絡まれていただけだ」
 
「ではなぜそんなに楽しそうなのですか」
 
まずい。清劉が平穏に飽きてきている。こんな時にはどうか余計な事件は起こりませんようにと強く願うがそううまく行かないのが世の常なのであった。
 
 
 
結局不完全燃焼だとうるさい清劉のカンフーの相手を一時間もし、それでもまだ足りないと押し倒されてベッドで格闘し、ようやく大人しくなった寝顔を確認しそっと仕事部屋に戻った。
 
疲労困憊のままにしばらく画面に向かっているとメール着信を知らせる機械音が聞こえた。そしてその差出人の名を見て疲れが倍増した気分になった。
即削除・・・の気持ちを押し殺し黙ってそのメールを開いた。憎らしくも天才級のハッカーである仁のメールはいつもこちらの意志などお構いなしに勝手に画面いっぱいに展開される。それが通常の手続きを踏んで普通にやってくる時は本当に真面目な仕事絡みの時なのだ。
 
理解し難い話なのだがと前置きされたメールは本当に理解し難い内容だった。
 
仁はあのニューヨークの博覧会の折にアラブの石油大国の展示物のセキュリティに関する仕事を受け持っていた。その際の仕事ぶりを評価されその後もシステム管理に携わっているらしいのだがその伝手を使ってとある有力人物が極秘にアクセスしてきたというのだ。
 
その対応について仁はどうしたものかと自分に相談してきたのだ。あの仁が自分に相談など本当に天地が返るほどの事件でもなければありえない。そう。まさにそれほどのことが起こっているようなのだ。
 
依頼内容は人探し。依頼人はトルーファの婚約者の姫君。探し人として添付された写真はあの時の女装した清劉だった。
 
すぐに画像回線を繋いでやった。向こうが何時なのかなんて気にしない。お互い様だ。こちらのアクセスを待っていたのであろう仁はすぐに姿を見せた。
 
『遅い』
 
「いろいろ忙しいんです」
 
『一日くらい我慢しろ。この性欲魔人が。なんて話をしてる場合ではない。まったく面倒くさい話になったな。高貴な女というのはどうしてこうも我がままなんだ』
 
「嫉妬とかそういう類の話なんですか?でしたら本当のことを話せばそれでいいのではないですか?」
 
『ああ俺もそう思ったさ。だからおまえのような低能の馬鹿犬なんかに相談する前にちゃんと話をした。なのにそういうことではない、どうしても一度その娘と会いたいと言うのだ。しかも向うは屋敷から出ることはできないからそっちが来いと言っている』
 
「行ったら二度と帰って来れないとかそういう恐ろしい話なんじゃないですか?」
 
『この姫っていうのをもちろん調べた。しかしそりゃもうとびきりの美女らしいけどそれ以外にこれといった特徴も聞こえてこないなんの怪しげなところもない姫君ってことしか分からない。周りの話なんかを鑑みてもよほどの二重人格かあるいは姫の代理で極秘回線を駆使してアクセスしてきた側近とやらに操られてるかでもない限り拉致だの暗殺だのそんな物騒なこととは無縁の深窓の御令嬢のようだ』
 
「だったらいったいなんの用事があるんでしょうか」
 
『それをその側近とやり取りしてみたが姫様が会いたがっているからとその一点張りで話の埒が明かないんだ。仕方無く直でラインを繋いだらこちらを馬鹿にしているのかおちょくってるのかぼけた婆さんしか出して来ない、ああむかつく』
 
「王子に相談してみるのはどうですか」
 
『しかしなあ。そんなに大事にしてしまったら婚礼前だってのに面倒なことになりそうだしなあ。できれば穏便に極秘に対処してしまいたいんだ』
 
「巻き込まれるのはごめんですよ。まったくどうしていつもこんなトラブルを持ち込むんですか。あなたが責任を取って対応してください、こちらは関係無い話で・・・」
 
「ああわかった。責任を取ろう」
 
「ええぜひそうしてってえ!!清っ・・・いつの間に・・・」
 
「こんな写真を誰がいつ撮ったんだ。まあいい。一度は行かねばならないとは思っていた」
 
『こんな怪しい申し出だが?それでも行くか?』
 
「もちろんトルーファに会いに行くのだ。むこうに行ってからこっそりお姫様にも会いに行けばいい。仲介を頼めるか、チェン」
 
『ああ・・・でもこの間の香港の時のような危険なことは絶対するなよ?』
 
「大丈夫だチェン。俺はもうすっかり普通の市民だ。なあ、ウィン」
 
「いや本当に危険ですって。帽子屋さんの力を借りようとかそういうのも絶対だめですよ。あの人に貸しを作ったらまた私が死ぬほどの目に・・・」
 
「ただの旅行じゃないか。それも美しき姫君の寝所へのオプション付。わくわくするな。なあウィン」
 
「旅行なら別の所に・・・」
 
「ということで話は終わりでいいな、チェン。運動不足で眠りが浅いのでウィンをベッドに連れて行きたいんだが?」
 
『はいはい勝手に好きなだけ馬鹿犬と遊んでこい。じゃあこの件はまた連絡する』
 
「ちょっと、仁っ」
 
退屈しのぎが見つかったとばかりにやけに上機嫌にぐいぐいと手を引いていく清劉。何が何だか分からない頭も、さっきの疲れが残る体も、まだまだ休ませてはもらえないようだった。
 
 

につづく

 

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(2013/5)




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